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ベルリンの壁跡とポツダム宮殿

ベルリンの壁のかけらも商品

8月15日(木)晴。
夜中から暑くて眠れない。7時起床。8時前に食堂へ。朝食はバイキング方式でパン、ハム、ソーセージなど種類豊富に並んでいて、久しぶりに満腹になった。サブザックを背に駅に行き、売店でブランデンブルク門への行き方を聞いてバスの切符(3.9DM)を求め100番のバスに乗る。
しばらく行くと高い塔の上に黄金の女神が微笑む戦勝記念塔に到着した。この塔は1864年デンマークに、1866年オーストリアに、そして1871年にフランスに勝利した記念に建てられたという。バスから眺めていると間もなくブランデンブルク門に到着。門の東側の広場に観光バスが数台止まり、その横には屋台が並び観光客相手にロシア人?が民芸品、勲章、帽子などの他、東西を仕切っていた壁のかけらを売っている。記念に壁のかけらを1個(3DM)求める

ブランデンブルク門

小公園にコッホの像

ガイドブックの地図に壁が残っているのを見て探して歩く。50年あまり前の戦争の弾痕が無数に残っている建物もある。しばらく歩くと小さい公園のベンチで休んでいるひとりの老人に会う。公園の中央にある真っ白な像は有名な細菌学者のコッホの像とのことだった。

運河の右側が壁があったと思われるところ

さらに歩くも「壁の残骸」は見あたらなかった。壁があったらしい運河にかかる橋の真ん中に壁のあった境界を描いた大きい看板を見つけた。運河に沿った壁はすでに取り壊され、その跡は修復中であった。運河を渡ると大きい緑の円盤に白で「S」と書いてある駅に到着した。ベルリンでは有名な郊外電車の「S-Bahn」の駅であった。ユーレイルパスで乗れるのでホームに上がりこの電車でベルリン駅に帰る。構内の郵便局で電話をかけたいと言うとカードを買ってかけろというので12DMのカードを求める。

ポツダム ツェツィーリエンホフ宮殿へ


ツェツィーリエンホフ宮殿
ニコライ教会

S-Bahnでポツダムへ行けることを知り、11時20分発の電車でポツダムへ向かう。約30分で到着。思ったより小さい駅であった。駅前の売店でハムサンド、アップルパイに缶ビールを求め、外のパラソルの席で昼食にする。
食後公衆電話をみつけて日本の自宅に電話(1.4DM)をする。駅前から広い通りを北にランゲ橋を渡りしばらく行くと、右手に旧市庁舎やニコライ教会が見え、さらに進むと郵便局があったので中に入り記念スタンプを押した。
その後バスでポツダム宮殿に向かう。同乗していた娘に下車するところを教えてもらう。第2次世界大戦の末期、日本軍が全面受諾した「ポツダム宣言」は、1945年8月14日、この静かな湖岸にあるツェツィーリエンホフ宮殿でチャーチル、トルーマン、スターリンが会談して採決されたのだ。

宮殿は20世紀の初めイギリス風に造られたもので、ホーエンツォレルン家最後の王子ウィルヘルムが家族と共に使用していた。第2次世界大戦の戦禍を受けなかったので当時の姿がそのまま残って現在は博物館になっている。入場を制限しており英語で説明している団体がいた。中で1人の日本人に会う。彼の言で今日が8月15日の終戦記念日だったことを知る。長い旅行で少しボケていたのかも。ちょうど良い日に訪問することができた。チャーチル、トルーマン、スターリンの懐かしい写真や会議場が続く。出口で英文の説明書(日本語のものはない)を求める。

地下鉄で道に迷う


旧東ドイツエリア

雨が降り出したので日本の青年とバス停に走り、駅に向かう。駅前の公衆電話で長女に電話(4.2DM)をする。
16時27分のICに乗車、ベルリンまでノンストップで到着。まだ少し早いので地下鉄(U-Bahn)に乗ってみる。2回乗換えているうちにベルリンに帰る線がわからなくなり、地上に出て場所を確認することにした。近くにS-Bahnの駅があり、この電車でホテルまで帰ることができた。
ホテルに帰りシャワーを浴び、洗濯をして久しぶりにレストランで夕食をとる。舌ひらめの唐揚げ(38DM)に野菜サラダにビールだ。少年飛行兵同期の友人にポツダム見学の葉書を書き、プラハで知り合いホテルの予約を引き受けてくれたベルギーのエスペラント仲間のSさんに電話をして、明日のブリュッセル到着時刻を告げる。


ビールをよく飲んでいますね。
ここまでビール好きだったかなと思うのですが、たぶんこの頃(1996年)の日本人には水を買うという感覚がなかったのではないでしょうか。
ビールかジュースか水かと言われたらビールだったんでしょう。(ウサコ)



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