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鉄道まかせで予定変更

バーゼル

イタリアからスイスへ

8月12日(月)
6時30分、寒くて目が覚める。昨日スーパーマーケットで買ったトマトとりんごにパンとジャム、パックの紅茶で朝食をとった。8時過ぎ、Lさんが迎えにきた。家の前の道路に直径・高さともに1.5mほどの鐘のような形の青、赤、黄の容器が並んでいたので尋ねたら、分別収集用のごみ容器であると説明してくれた。駅の売店で記念にVicencaの地図を買った(8,000L)。8時43分発のミラノ行きECは定刻に入線。Lさんの見送りを受けた。
1等車は1両で左側1列、右側2列のオープンカーだ。中間切で前半分は喫煙車となっていた。アナウンスはイタリア語と英語。間もなくパン、飲み物の車内販売が来た。声はなく「チン、チン」という鈴の音だけ。途中雨になり寒くなってジャンパーを重ねて着たが、30分ほどで晴れ間が出てきた。10時50分定刻にミラノ着。

ミラノ駅ホーム

ここも半円形の天井のなんと高いこと。ホームにいる駅員にチューリッヒ行きの時刻を尋ね、指示されたホームのTVを見たが出ていない。再度売店で聞くと全く異なる返事で困った。時刻表を見つけて探したのだがわからず、ようやくドイツ・ドルトムント行きECを発見したのは発車5分前だった。ホームは端の方の2番線である。キャリーバッグを引いて汗だくになりながら走った。発車1分前にやっと乗ることができた。やれやれ。

慌てて飛び乗った列車は違う列車だった

しかし、飛び乗ったこの列車はスイスのチューリッヒは通らずフランスやドイツとの国境に近いバーゼルまで行ってしまうことが分かったまあいいや。一人旅の気安さで予定を変更して今夜はバーゼル泊とする
1等車は6人用の個室でドイツに行く母娘らしい2人と同室になった。12時国境近くのComo着。10分後、山間のスイスのChiassoという小さな駅に到着する。兵隊らしい数人が車内の点検にきたが、パスポートの提示を求めるでもなく、12時30分には発車した。

車窓から

スイスに入ると両側に雪の残った岩峰や湖が次々と現れ、同室の母娘も歓声をあげながら写真を撮っている。やがて烈しいにわか雨が降りだした。この頃から列車は湖のそばを通ることが多くなった。そしてLuzernで列車は方向を変え前後が逆になり、16時50分、バーゼルに到着、下車した。

4つ星ホテルに泊まったものの


ホテルからバーゼル駅前

まずイタリアで残した84,000Lを63.4SF(スイスフラン)に両替。駅前に出て近くのHotel Victoriaに入った。カウンターに日本語を話す女性がいて、175SFの部屋があったのでチェックインした。旅装を解き再度駅に行き交換レートを見て換算してみると1泊16,400円也の4つ星ホテルであった。たまにはよいかと納得する。雨も上がったので地図を片手に歩いてライン河まで行き、2時間ほど付近の教会などを巡ってホテルに帰った。

夕食のため食堂に入るとドイツのマンハイムに駐在している若い日本人がいた。メニューから魚料理を選んでもらい一緒に食事をした。出てきた料理はレタスの上にスモークサーモンが数片のっているだけだった。パンは硬くてほとんど食べられず、ビールを飲みながら21時頃まで久しぶりに日本語でおしゃべりをした。スイスは物価が高いと聞いていたが締めて29.6SF(2,730円)だった。

久しぶりの日本語でのおしゃべり後、これまた久しぶりの「ふろ」にどっぷりと浸かって疲れをとった。22時30分に床に就いたが、掛け布団がぶ厚すぎて暑くなり、裸になっても熟睡することができなかった。このホテルにクーラーはなかった。


再び大移動が始まりました。この日はおよそ8時間乗ってますね。
移動距離にすると500kmぐらいのようです。(ウサコ)



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