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IKN no.20 いっちーの躁鬱日記

こんにちは。
いっちーです。

僕は、時々自分の身に降りかかっている事さえ他人のことのように思えてしまうことがある。

よく前の会社では、他人事になるな、自分ごととして捉え、取り組むようにと言われた。行っていることはわかるし、確かに大切なことだとも思う。理解はしている。でも自分の事さえも他人事に感じてしまう僕には、結構難しい。

誰でも自分でやらないといけないことを放っておいて、他人任せにしてしまうことがあると思う。僕が言っている「自分の事さえ他人事に思える」というのは、それとは全く異なる。

例えば、車を運転している時。自分で運転しているにも関わらず、僕はその外にいて、レーシングゲームをしている時のような画角に陥ることがある。

人と話をしている時もそう。自分の口から言葉を発しているはずなのに、どこか腹話術のような、トイストーリーのバズがボタンををストセリフを言うように、どこかにボタンがあり、あらかじめ決められたセリフを言っているかのような感覚に陥るのだ。

まるで映画を見ているような感覚といえばわかりやすいかもしれない。
映画は、誰かの人生を画面を通して擬似体験するわけだけど、大概は、主人公の人生の途中で映画話終わり、エンドロールを迎える。僕もなんだか自分の人生をそんな感覚で見ているような感じなるのだ。自分の人生を最後まで味わずに、途中でエンドロールが流れ始めるみたいな。

それは決して志半ばで死んでしまうとかそう言うのではなくて、本当に中途半端なところで、ブチっと切られてエンドロールが始まりそうなのだ。

そう言った感覚に陥ると、僕は必ず自分の手のひらを見つめる。
確かに自分は自分で、今この瞬間のこの場所にいる何者でもない自分だと言うことを再確認するために。

そこにはいつも僕の両手があり、代わり映えのしない手のシワがあり、青い血管が奥の方に隠れている。

本当に僕の手らしい。確かに僕の手だ。きっと僕の手だ。これからも僕の手だ。

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