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60話-男が決断をする時

ヨーロピアンが終わって、大体2ヶ月弱ぐらいでパンアメリカンがある。

私はまたすぐに減量の準備に取り掛かった。

試合で終わって72kgぐらいになった身体をまた絞り始めた。

2月になって後1ヶ月のところで、70kgぐらいで体重が止まった。

ちょっとしたらまた落ちるだろうとそのまま続行した。

そのまま3月頭になったが、体重が全然変わっていなかった。

私は流石に焦り始めた。

毎日1000キロカロリーぐらいしか取ってないのに、体重が落ちない。

花粉症も相まって体調は最悪だった。

常に微熱が続き、寝れない日々が続いた。

薬を飲むと浮腫むので、薬も飲めず、一人喰らい風呂無しアパートで空腹と戦う夜を何度も過ごした。

一週目が過ぎあと、大会まで10日になった時点で体重が70kgだった。

もちろん、水抜きも試した。

落ちるには落ちたが、気が狂いそうになる体調で試合など出来ない仕上がりだった。

なので意を決して石川さんに相談しに言った。

石川さんからは昔から、「ライトは無理だ。フェザーで行け」と、昔ランギに負けてから言われていた。

しかしもう流石に限界だと思い相談した。

石川さんは、「お前がそう言うならしょうがない」と了承してくれた。

いつも自分で決めろとは言われてはいるが、私の中で石川さんの決定というのはやはり大きな決断なのだ。

私はライト級と言う階級に初めて言い訳無しで挑む覚悟をした。

ライト級とは、柔術の中で一番層が厚く、日本人にはこの最南端の山を登るのは不可能と長年言われていた。

あの日本柔術界の巨匠早川さんですから、ライトの世界大会での一勝の価値は他と違うと言わしめたほどの階級だった。

その中で実績が出せた日本人は、杉江アマゾン大輔さんただ一人だった。

ヨーロピアン2位

パンアメリカン3位

世界大会ベスト8

これは偉業で未だに超えられてはいない。

他は入賞にカスリもしなかった。

今までライト級は王者の世代交代も早く絶対王者と言う人間がいなかった。

それほど層が厚いのだ。

マイケル・ランギ、セルソ・ヴィニシウス、ルーカス・レプリ、ギルバート・ドゥリーニョ、レアンドロ・ロ

などの世界王者の称号を持った選手がふつうにトーナメントに参加してくる。

その下にその力に匹敵する有名選手がまだまだいる。

気が遠くなる世界だ。

ライトの山を登るのは恐怖だった。

しかし私は行くしかなかった。

身体がそれを許さないならそれに従うしかない。

私は修羅の門の前に立った。


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