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選手の移籍について。

二〇二三年も八月になってしまった。今年度初めての投稿になる。歳を重ねるに連れ、一日一日が早い気がしながらも、毎週木曜日のことを考えて生きる日々は素晴らしい。セレッソ大阪にとって少なからず動揺する出来事も多いが、とにかく毎日を無事に切り抜けることだけ考える。

#コールリーダーウダウダ でも話をしたが、選手の移籍に一喜一憂することは非常に少ない人間なので、今回の件に関しても特段驚きもない(とは言えニュースに”C大阪の加藤”と出たときには、一体誰のことを言っているのか、とは思った)。移籍は選手が決めること、それだけだ。

唯一、選手の移籍に対して敢然と立ち向かったのは古橋達弥さんのときだけだったかと記憶している。あのときほど泥舟と化したセレッソ大阪を見たことも無かったし、その沈みかけた船から一目散に逃げ出そうとしたかどうかに関わらず、古橋さんは僕らにとって必要だった。

キャプテンの責務かどうかはともかく、二〇〇六年の降格時にセレッソ大阪に残留。翌年、昇格が絶たれた際にサポーター有志による残留へのアプローチが始まった。結局二〇〇八年もJ2で共に戦ってくれたことに、本当に感謝の念しか浮かばない。それだけの思いが古橋さんにはある。

サポーターは一生涯クラブを愛し続けるが、彼らには彼らの「選手生命」がある。働けるとき働くべきときに正しい場所でプレーするのが一番。それがセレッソ大阪ならもちろん嬉しいけど、すべてがすべてうまくいくはずもない。人生なんて大半がそのときの「運」で構成されている。

でも、笑って送り出そうとも思わない。だからといって、裏切り者のレッテルを貼ろうとはわずかでも頭には浮かばない。単純にサポートするチームが、そして、クラブが違うだけ。試合後に挨拶に来るか来ないかで感情は変わらないし、それでいいのだ。いつも、誰にでも、そう思う。

彼らのお陰で、また新たな仲間が僕らには増えた。毎年、こんなことをしながら、クラブは大きくなっていくのだろう(規模の話ではなく内面の強さの話)。既にクラブに関わる大半の人達が僕より若い世代になったからこそ言えるのかもしれない。そう思うと少しは僕も大人になった。

すべてのサポーターに自分の考えを押し付けようとは思わない。なぜならひとりひとりの中に思い思いのボイスがあるはずだから。主義主張がなくなればサポーターとしての強さは崩壊する。だからその主義主張にしっかりと責任を持って声にすればいい。そう思いながら僕は茶をすする。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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