見出し画像

自然の中でみんなで〇〇 #3

3.自分の頭で考えたことをカタチにする=自己実現
私たちの生活は、物やネット環境が整備され、便利な生活環境になり、携帯電話のおかげで暇を持て余すこともなくなった。逆に、待つことや我慢することに対して、耐性が低下にしたように思える。便利な社会になったおかげで、生活は楽になったが、サービス受け慣れしすぎて、自ら何かを生み出すことが減り、サービスが悪いと愚痴やクレームを言う人が多くなったように思う。
小学5年生が行う宿泊学習の事前説明では、必ず「自分のことは自分で行う」ということを伝えている。親元から離れ、身辺のことは自分で行う。これは、子どもたちにとって、自立を促す大切な体験学習である。同じ学校の友達と同じ釜の飯を食う体験やお風呂に入る体験、仲間と役割を担い協力する体験、家とは違う場所で寝る体験など、普段の生活の一部ではあるが、そのことを、自分もしくは仲間と協力して行うことは、自立する上で必要な体験である。本書の中でも、以下の言葉が出てくる。
自労自治:自ら労働し、自分たちのことは自分たちでやる。
本書で紹介された学校「自由学園」では、子どもたちが昼食を作ったり、使った食器を自分で洗う。自分が授業で使う椅子も自分たちで作っている。子どもたち自ら、自分たちの生活を自分たちで作っている。この感覚は、家庭だけでなく、住んでいる地域の人間として必要なことだと思う。この感覚は、災害に遭い、自分たちで避難所運営をしなければならない話を聞いた時に痛感した。大人も含め、どれくらいこの感覚を認知できているだろうか。私も内省したい。
本書にも、「生涯の生活の中にこそ、真の教育がある」とある。
ただ頭だけを使うのではなく、身体も使っていく。現代の人間の課題は、ネット環境が良くなりすぎて、身体を使っていないことにあると指摘している。これは、登山アプリYAMAPの創業者・春山慶彦氏も述べている。
「手と頭がつながる教育」の必要性が求められている。

日々の生活の中にも体験はある
家事手伝いは、最高の体験活動

遊びにおいても、興味深いことを述べている。最近の子どもたちの遊びは、大人の管理下に置かれ、本質的に遊べていない。例えば、行政が管理する公園では、禁止事項の多い看板が多く、自由に子どもたちが遊べていない。
子どもにとって、遊びも自治である。自由と責任は表裏一体のはずだったのが、大人が管理するあまり、子どもの自由と責任が離れすぎてしまっている。また、何かで遊ぶことは多くなったが、何もないところから遊びを創っていく機会が減った。これも、大人の行き過ぎた介入が原因だと考える。そして、その更なる原因は、大人同士の不健全な関係性によるものだと考える。#1でも述べた「孤立化」である。大人同士の健全な関係性が、なぜ必要なのか。公園の砂場で子どもが複数で遊んでいると、知らない子の砂場道具を使ってしまい、すぐに親が声をかけることがある。親としては、責任ある行動だが、子ども同士の発育発達としては、ベストではないこともある。そこから遊びが発展したり、取り合いになっても仲直りできたら、双方にとっていい体験になる。正しいことだけではなく、体験を通して、戸惑いや痛みを知って、愛や思いやりを子どもたち自身が感じることのできる。それを我慢しながら見守ることも、大人には求められるのではないだろうか。そのためには、大人同士の良好な関係性が必要不可欠である。良好な関係性であれば、子ども同士の多少のケンカが起こった場合、親同士で様子を見る余裕ができるのではないだろうか。子育ては、子どもの自立を邪魔するものであってはならない。
本書に出てくる夏目漱石氏の言葉は、自立に対する捉え方のヒントになる。
「自立とは、自分はどう生きたいのかを自分でつかみ、しかも社会に適応していく態勢と心構えが整うということ」
この言葉で驚いたのは、自立というと、”自分探し”といった自分自身がどうありたいかだけに焦点が行きやすいイメージだが、社会(国・地域・人)との関わりへの振る舞いや心構えも必要であるということを述べている。この心構えに関しては、他者を助ける行為だけでなく、他者に助けを求めることも求められていると私は考える。自分が困ったときに「help!」を出せるかどうかも自立において必要である。現在の子育てや教育は、この「help!」を取り上げているのではないだろうか。
自殺率が高いこの国では、教育をする上で必要な要素だと言える。大人同士が、孤立化し、お互いに無関心になることほど、寂しい社会はないと思う。そんな社会を次世代に残したくない。

若者の自殺率
若者の自殺の原因
個別化ではなく、”関わり”の必要性

「義務教育」に対するイメージ
義務教育というと、「子どもが嫌がっても、親の義務として学校に行かせる」という親の責任と使命感が強いように思う。しかし、本書では、こう述べている。
「子どもが、”学校に行きたい”と望めば、それを権利として認め、教育機会を与える義務が親にある」
大事なのは、前者の主語は、”親”で、後者は”子ども”である。学校に行く権利もあれば、学校に行かない権利も子どもは持っている。こういった子育てに関する先入観はたくさんあり、こういった先入観は、自分の考えを行動に移す時の足枷になっている。私は、その一つ一つの先入観に気づき、違う視点で自分の考えをカタチにすることを大切にしている。
本書に、私の一つの行動指標の参考になる言葉があった。
「〇〇(我が子の名前)のお父さんではなく、地域のお父さん」
せっかくお父さんになれたのだから、自分の子どもだけでなく、地域の子どもたちと関われたらと思う。地域や親と関わりながら子育てをしていこうと思う。自分が思う子育てをつかみ、社会と関わりながら磨き上げ、実現していこうと思う。

今回、本書を通して、私がコンセプトとしている「自然の中でみんなで子育て」を改めて考えるきっかけになった。
認知機能・共感力・自己実現、この3つの力を養う環境は、”自然の中で(外や地域など)”、”みんなで(他者との交流)”、〇〇することである。
〇〇は、自分が”できること”でいいのではないだろうか。私の場合、自然体験活動と子育て、スポーツである。○○は、子育てや教育、地域づくり、思い出づくりなんでもいいので、自分のできることで、外に出て、人と関わってみてはどうだろうか?親子で新しい景色が見えるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?