神様のエネルギーはなくならないのか?

神様の持つエネルギーを御稜威(みいつ)と言います。私たちは折に触れて神社に詣で、また自宅に神棚をお祀りすることで神の御稜威をいただいて暮らしているわけなのですが、こんなにも日々神様のお力をいただいていて、神様のエネルギーはなくならないのでしょうか?

これは民俗学的な切り口ですが、日本古来の儀礼に、毎年正月、ムラ組織の長(いわゆる親方)に新年の挨拶に行くという風習があります。昔は上司の家に新年の挨拶に行くことも普通だったと思いますが、現在は実感としてはほとんどなくなっていますね。それでも親族が集まって新年を共に迎える、という方は多いのではないでしょうか。現代風に言うと、お爺ちゃんやお父さんなどの家長が親方に当たりそうです。

この儀礼には2つの側面があって、1つは親方という強いエネルギーを持った人の力を分けてもらい、一年間無事に過ごせますように、という願掛けをするというもの。もう1つは、ムラの構成員から挨拶を受けることで親方自身のエネルギーも増す、というものです。

御稜威と似た言葉で、「恩頼(みたまのふゆ)」という言葉があります。みたまは御霊、つまり神様のエネルギーのこと、ふゆは、これは私の考えですが、「殖ゆ」または「振る」ではないかと思っています。

つまり、神様のエネルギーは「殖える」のです。私たちが神様のお力をいただいているのと同時に、私たちの祈りによって神様もまたエネルギーを増幅させているということです。これは、ムラの構成員が新年の挨拶をすることで親方の力もまた増す、という考え方と同じですね。

「振る」の方は、神職には禊のときに行う「振り魂」でお馴染みですが、振ることでエネルギーを活性化させ増幅させる、というところで「殖ゆ」に近い観念ではないかと思います。

さて、我々が神様のお力をいただいてもその力は枯渇することがないと分かり安心したところで、疑問はまだまだ湧いてきます。増えたり減ったりするということは、神様の力は球体のような形なのでしょうか、または桶が水で満たされるような感じなのか、それともメーターのような概念でしょうか…そのあたりの考察もいずれ書きたいと思います。

#神道 #神社

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