この子達のためになにができるだろう
先日、5.6年ぶりに試合のベンチに入った。
コーチの現場から離れると改めて思うのは、思考回路の違い。
昔はあんなに出てきたベンチでの言葉が、まったく出てこない。
これは他のことでも同じだが、やはり現場から離れてしまうとその現場ならではの感覚、瞬発力が無くなってしまう。
もちろん、当時、コーチとして僕が発していた言葉、伝えていた言葉は浅はかだったと思うし、今の方がバスケをよりさまざまな角度から見ることができている。
けれど、隣にいる選手たちにどんな言葉をかけるべきか、悩んでしまう自分がいた。
結果は準優勝
決して悪くはない。
けれど、終わった彼らの多くが冴えない表情をしていた。
内容が悪かったわけでもない。
ただ決勝で自分たちの足りないところをしっかりと突きつけられた。
誰しもがそんな唇を噛み締める瞬間を通り抜けてきたと思う。
それを乗り越えようとしていく者もいれば、目を背けていく者もいるだろう。
僕自身は後者だった。
でも、1番最初にコーチをした時
あれは2008年の夏
4月からコーチを初めて、中学3年生は当時大学3年生だった僕を受け入れようとしてくれなかった。
それは至極当たり前の話だ。
そんな3年生は、今年は上位まで行けると言われていた結果、まさかの一回戦敗退。
それは自分が中学1年の時の3年生と重なった上に、コーチとして何もできなかったこと、そしてこの子達のためにもっとできたことがあったんじゃないのか。
そう、後悔した。
彼らが卒業する時、
「おれ、最初コーチのことが嫌いだったけど、コーチが最初から教えてくれてたら、俺たちはどこまで行けたかな」
と言われた。
その言葉は素直に嬉しかったし、その可能性を後押ししてあげられなかった自分が悔しかった。
あれから15年が経った。
さまざまな縁があり、僕はまた指導の現場にいた。
初めてチームに参加したとき、キャプテンはあの時の彼のように、敵を見るような目で僕を見た。
同じだった。
自分がチームをなんとかしないと。
そんなプレッシャーが彼を強くもするのかもしれないが、彼を追い詰める気もしている。
そんな彼らのために何ができるだろう。
気づけばベンチで選手たちに声をかけていた。
帰り側には話したことのないある選手が相談にやってきた。
15年経っても思うことがある。
彼らが欲しいのはきっかけで、そして背中を押してくれる誰かの存在なんだと。
みんなそんなに強くはないから、この人なら……そんな誰かを探してる。ちゃんと見ていてくれる誰かを。
思い返せば、僕もそうだった。
誰かに信じてもらえることで、自分を信じることの大切さを知る
だからこそ
この子達のために何ができるだろう。
15年だってまた
そんな気持ちと出会うことができた自分は恵まれているのだと思った。
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