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コミュニケーション論 ⓵ 〜ナンパ師達を通して

なんか語っていこうかなと思う。
続けるがわからないが、
今日は第一弾でコミュニケーション論、、ナンパ師を通して。

(ここでナンパ師達に言及するが、ぼくが追っていたのは7人程度であり、そのくらいのスケールの話である)

ひとときナンパ師達を追っていたことがある。(主にネットで、、何人かは数回程度会ったり、みかけたりした)。
当時ぼくは、どうしたらコミュニケーションがうまくなるのか暗中模索をしていた。
というより、コミュニケーション能力がなければ生きてはいけない、、もう限界が来ていると思った。
そんな中社会学者である宮台真司の著作にナンパ師達との対談があった。
そこに登場していたナンパ師達は、ぼくがイメージを持っていた(チャライ、ウザイ、女好き)というステレオタイプと違っており、対談も興味深く読んだ。(と、いうより僕自身が勝手にそういうイメージをつくりあげていただけである)
そして彼らのコミュニケーションの方法を知りたいと思った。

ナンパ師について調べていくにつれ、
コミュニケーションのアプローチとして大きく分けて二つの方向性があることが分かってきた。(これは敢えて分けた場合であり、実際は無数のグラデーションがある、、
僕の興味をもった人達は両方をいったりきたりしている人が多かった)

ひとつは、いかに相手の喰いつきをあげるかに向かうもの。マーケティング的発想。
ターゲットを絞り、自分が狙い定めたを層をリサーチ、、ターゲット層の好みに向けて自分をビジュアライズ化、キャラ化していく。
物怖じしないためのマインドセットを身につける。相手の心が開きやすいような方法論で武装する。テンションを上げるなど。
こちらは現代感覚としてわかりやすいと思う。

もうひとつは、くつろぐ方向に向かうもの。
こちらはいかに自然体、楽な状態にいられるかに考えを集約していく。
衣服などは小綺麗でさえあればいい(自分がオッケーと思えれば)
なぜくつろぎ?と思うかも知れないが、とりあえず今は説明はこれぐらいで。

ぼくは後者の方に興味をもった。

後者の方法をとる人達はどこか修行者のようであった。
日常でコミュニケーション不全さを感じている人が多い印象を受けた。根本的にどうにかしたいと感じているようだった。

コミュニケーション能力を改善したい。そんな中街に繰り出ていた。

コミュニケーションを上手くなりたい、欲するのは何故だろうか。実際はのところはわからない。
が、誰かに自分を受け入れてほしい、承認されたいということを出発点とし、
コミュニケーションが妨げの原因だと考える人々にとっては、マーケティング的発想に基づいたアプローチは本人達の希望とは逆方向に向かってしまうということはわかった。

マーケティング的な在り方とはどういう在り方だろうか。
言ってしまうならばターゲット層をリサーチし、自身をターゲット好みの理想、、魅力的な商品としてブラッシュアップし、並べ、誘惑し、売れることではなかろうか。
ならばナンパが成功するとは
自身ではなく、商品としての私がイイと言われることではないだろうか。そこには本当に受け入れてほしい私はいない。

自分が相手にとって魅力的な商品である限りにおいて相手は好きといってくれるが、
そこから外れたら好きになってくれないのではないか?という恐怖がつきまとうことになる。だから演じ続けるしかない。
仮に商品としてのあなたでなく、あなた自身が好きといってくれる人が現れたとする。
が、彼自身が、
商品としての自分とその購入者という狭い図式に囚われているため、私という商品が好きなのであり、ほんとの私が好きなのではないと考えたとしたら、相手をいつまでも信頼できない。
そこには不審が絶えず横たわることとなる。

マーケティング的手法はあくまでひとつの手法であって、見方であり、認知の仕方である。
が、それを事実、現実世界そのものと考えてしまうと、その世界に閉じ溺れてしまう。


次回は、後者のくつろぎに向かうアプローチについて書こうと思う。

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