見出し画像

散らかし適当アレコレ日記11 (10/11)

わずかだが日差しが差している。雲の切れ目から青空が覗かせている。ずっと雨だったしなぁ…、四日ぶりぐらいだろうか。光を浴びると身体の底から嬉しさのようなものがこみ上げてくるのを感じる。
目覚めたのは4時頃。ちょっと早いなと思い二度寝の態勢へ。眠気はあるものの眠れず、Twitterをひらいたりしつつ気付くと寝るをニ、三回繰り返す。よく思うのだが、二度寝する時の夢は悪夢が多く、内容もよく覚えている。他の人もそうなのだろうか。
今日は命を殺し屋に狙われ逃げ続ける夢と、後輩にブチギレてミートソースの入った鍋を壁に叩きつけた夢であった。

ちなみに夢を夢として扱うのは現代的な認識ではあるが、文化が違えば認識も変わる

ピダハンにとって、夢は作りごとではない。現実の体験に数えられるのだ。目を覚ましているときに見える世界があり、寝ているときに見える世界があるが、どちらも現実の体験なのだ。

”ピダハン 「言語本能」を超える文化とその世界観” 著:ダニエル・L・エヴェレットからの抜粋

日本の中世の脱話を読むと、他人の夢に区別も明瞭でなく、ましてや個人の主体性など問題にならなかったことがわかる。(河合隼雄「日本人の心を解く」たとえば、『宇治拾遺物語』には、観音様が来るという夢を他の人が見たのに、その夢に従って出家する武士の話が収録されている。

心理療法家がらみた日本の心 いま、「こころの古層」を探る 著: 河合俊雄からの抜粋

二つの文を抜粋したが、彼らが特殊なのでなく、我々もまた特殊のである。感覚も認識も文化が違えば変わってくる。また各人のありようでも変わる。

気にいったツイートはどんどんスクショする。殆ど振り返ることはないが、たまに見返す。
スクショしてあった、AbemaTVの番組内に松重豊が出演した時の記事。孤独のグルメについて言及しているのが目に止まった。

以下記事から抜粋

最初は「本当に台本いただいて、漫画の原作もいただいて...。テレビ東京の夜遅い時間に、ただ、俺が1人で食っているだけで、誰が見るの?どこがおもしろいの?お客さんが楽しめるはずがないって思って。何年かたって、お前こんな番組やっていたねって笑い話になると思っていた。あんまり人に言いたくない作品ではあったんです」と語った。

孤独のグルメは好きな作品のひとつである。特に初期のほうが好きだ。途中のシーズンから時間が長くなったのと、ブラッシュアップされていく過程で視聴者が好きそうなポイントが制作陣がわかってきた感があり、これかが好きなんでしょ?と意図的に演出されてる感を感じなくもない。最初のただ喰らってる感が好きだった。
とまぁ、それは本題でない。
松重豊と孤独のグルメの関係が面白い。松重豊の発言を真に受けるとすると、
本人からすれば自分は飯を喰らうだけであり何がおもしろいのかわからない。が、現在シーズン8を迎えるほどの長寿番組となっている。本人が思うのとは裏腹に、それだけ興味を持っている人が多いという事だと思う。

いいなと思うのは松重豊自身があまりそこに価値や意味を見出だしていないこと。
一番つまらないのはこうしてやろう、ああしてやろうと意図丸出しのものであり、そうすると意図の世界に閉じてしまう。 
また松重豊演じる井之頭五郎の食べ方がまた絶妙なのである。上品でもなく下品でもなく、両方が共存しているようにみえる。

松重豊は「なにがおもしろいのかなぁ〜」とヒットした今も依然首をかしげているのだろうか。そう考えると少しお可笑しい。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?