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散らかし適当アレコレ日記10 -10/9

寒い…。目が覚める。寝ているあいだにどこかにいってしまった、羽毛布団を探す。雨音がする。ああ、、これをシトシトというのだろうか。カラッと晴れた日とは違う。全ての音が、ぼわわんとくぐもって聞こえる。
動いている庭の著者ジル・クレマンがドキュメンタリーで地球を水の惑星といっていたのを思い出す。
考えてみれば水は、海や川のようにわかりやすくみえるだけでなく液体や個体だけでなく気体にもなるのだから、見えなくても、状態を変化させつつ至るところに偏在しているのだろう。
身体の中だって70%は水でできていると何処かで聞いた。

生きている人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ

野口三千三はこのように身体を水の入った皮袋に例えた。
今日も水の惑星の住人として生きる。


著:高田宏臣「土中環境」を読み終える。大変おもしろかった。
この森は死んでいるという言葉は全く比喩ではないんだなとわかった。雑にだがまとめるとこんな感じだろうか。
良い森というのは全てが循環し調和をしており、それは土中環境を通してみることで森全体の状態がわかる。そこには相関性がある。状態が良くない森というのは循環が分断されており、ゆえに森は痩せ細っていく。現代の土木技術では構造力学的な発想のもと行われる。崩れないようにしたり大きな力で固めたりと、それらは自然の働きを許容しない、また無視をしているため循環を分断してしまう。そのため本来の自浄作用は働かず、本来なら起きなかったであろう大きな水害や崖崩れにつながってしまう。
古代日本人はそこにあるものを邪魔しないように、働くように森と向き合ってきた。崩れなど発生してもそれらは自然の作用のひとつであり、平衡状態になるようなっていた。そこにあるのは共生という眼差しだろう。
とまとめたが、やはり面白いのはひとつひとつの事例、共生にまつわる話だろうな。

風呂に入ったら、ほぁ〜と声が出てしまった。この時期の風呂は格別すな。風呂は42度と少し熱めである。湯気が立ち昇りその中でぼんやりと明かりが灯っている、、それとともにぼんやりと宙を眺める。

久々に日記を更新できた。
おやすみなさい。

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