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【読書メモ】対話で変える公務員の仕事

福岡市役所の今村 寛さんの著書「対話で変える公務員の仕事」を読み終えました。読んだのは少し前だったのですが、自治体職員として心に残る部分が多かったので、読書記録としてnote残します。

読んだ感想

今まで著者が実践してきた経験の中から綴られた内容は、自治体職員として働く自分にとって、それぞれの場面が具体的な情景としてイメージが持てたこともあってか、一気に読めました。

私個人的には、対話とは何の意味があるのか、という部分、本文中でも重ねて触れられていた以下の箇所が特に心に留まりました。

「役に立つから対話をするのか」
対話は互いの人格に優劣がないものと認めあい、その意見、主張に優劣がないという前提で先入観を持たずに拝聴しあうもの。

議論の前の「対話」に求められるのは、自分とは違う視点を持ち、違う事実を知っている他人の存在を認識すること。他人の持つ情報によって自分の判断の基準となる知識や価値観が変化しうることに気づくこと。

あとがきの中で著者ご本人は、対話に関する専門家ではないと謙遜されています。
余談ですが、そこで私個人的に合わせ読みして良かったと思うのが、宇田川元一氏の「組織が変わる」(写真左側)と「他者と働く」でした。

先ほどの対話とはなんぞや、の部分に対して以下のように述べています。今村さんの言葉と通ずるものが多いなあと一層腑に落ちて理解できました。

対話とは、今見えている問題の枠組みから抜け出し、問題の捉え方を変え、組織をよりよい状態に導くための取り組み。

対話はナラティヴを変容させる実践。自分とは異なる他者のナラティヴとの間に橋を架けること。

最後に。仕事のスキルや技術もさることながら、今前向きな気持ちで仕事に向き合えているのは勤めている市役所の雰囲気というか、文化というか、人間関係に助けられている面が大きいと感じているので、何かそこに貢献したいという気持ちが自分を動かしているのかなあと感じています。

私自身、著書にも書かれていた福岡市役所の「明日晴れるかな」という庁内有志の方々よる対話の場づくりに感銘を受けて、職場の先輩と勤務先で4年ほど前から細々と活動をしてきました。

なぜ自分が「対話」という言葉に惹かれたのか、同じ市役所で働く先輩同僚後輩の方とどういった関係を作りたいのか。
本を読んでみて、まだまだこの部分がうまく言語化できずにいるなあと改めて痛感したので、もう一度初心に立ち返ってみたいと思います。

すべての人が適任者。って言葉にも、背中を押してもらえた気がします。

著書中に思わず付箋を貼った箇所

「すべての人が適任者」
常連同士、気心知れたいつものメンバーは居心地が良いものですが、その濃い人間関係の輪の外側にいる人から見て、話の中は居心地がよさそうに見えるか。自分が許容されるかどうか不安で輪に入っていけない人もいる。

「聴くだけの人もそこにいていい人」
発言していない人がいると居心地が悪いのではと気を回して話題を降りがちですが、そんなお節介が嫌な人もいる。発言しないでただ聴くだけの参加も許されることが大事。

「対話は手段か目的か」
情報共有や相互理解の不足を当事者が課題と感じ、解決したいという意思がある場合には、手段としての対話が必要になることになる。

「役に立つから対話をするのか」
対話は互いの人格に優劣がないものと認めあい、その意見、主張に優劣がないという前提で先入観を持たずに拝聴しあうもの。

議論の前の「対話」に求められるのは、自分とは違う視点を持ち、違う事実を知っている他人の存在を認識すること。他人の持つ情報によって自分の判断の基準となる知識や価値観が変化しうることに気づくこと。

「対話の場」も、知ってほしい、考えてほしいと強く思う人がいなければ、その場が開かれることはありません。対話の場を設けるための鍵は、私たち自身がその対立を解決したいと願い、そのために当事者が知ってほしいこと、わかってほしいことについて、どれだけそう強く願うかにかかっている。

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