「中国で起業して暗黒時代を生き抜いて得た3つのこと」Vol.1
2009年初めて中国大陸に足を踏み入れたわけなんですけど、
当初はここに第二の人生が待っているとは予想もしてなかったです。
第二の人生ちゃうか。
『第二のアイデンティティ再構築期間』とかの方が適した表現か。この期間がなければおそらくこうやって note を書いていることもなかったんちゃうかな。
タイトルにある通り、私は中国で起業して数々の失敗を経験してきました。
最初に言っときますが「失敗の連続を経験して成功しました!」っていうお話ではないので、そういうものを求めている人には面白くないかもしれません。
中国で起業して暗黒時代を生き抜いて得た3つとは
①個人の時代の生き方に必要なこと
②お金の価値と「稼ぐこと」に対する意識の変化
③「働き方改革」よりまず先にやらなあかんことは何か
今回は「個人の時代の生き方に必要なこと」についてですが、めちゃめちゃ砕いて要点言うと、こういうことです。
会社という看板を下ろして個人商店になったけど、なんの準備もしてなかったから嫌でも自分に向き合わなあかんかった。
なんのリソースもない個人が海外で裸になれば、自分の価値を考えさせられる出来事が毎日のように起こり、そして見つけ方がわかり、磨き方が自然と身に付き、生き抜く術を学べる。
株式会社◯◯の大森です!
こう名刺出したら基本的に誰でも話聞いてくれるし、その会社の知名度が高ければ高いほどなおさら。これを「個人の信用」と勘違いしてたサラリーマン時代の自分にこう言ってやりたい。
「会社名で仕事してないよな?もしそうなら帰ってええで、あほ」と。
当時は「会社の信用」と「個人の信用」が別物ということにすら気づいていなかったし、「個人の信用」でビジネスモデルを築く方々が多く現れる時代が来るとも予想してなかった私は「会社の信用」にしがみついていたのかもしれない。
「個人の時代」のビジネスモデルについては武内 宏伸さんの note に
すごくわかりやすくまとめられているので参考にさせてもらってます。
2011年上海へ駐在員として派遣され、大手デベロッパーの営業担当として相変わらず忙しい日々。もともとサラリーマン辞めてなんかしようとは決めてたけど、特にやりたいことが見つからへんくて。
そんな悶々とした日々を上海で送ってたわけですが、ついに我慢の限界がきて上海赴任1年も経たずに会社辞めました。
なんの計画もなかったし、貯金もしてなかったからそらもう大変ですw
ここから暗黒時代が始まるんですが、その辺のお話はまた後日に置いときます。
当時の上海はもう勢い全開やったわけです。2008年に北京オリンピック終わって、2010年上海万博終わって、それはもう現地にいるとビシビシ勢いが伝わってくる。今でこそ中国はキャッシュレス社会にもなり、世界を席巻するチャイナ・スタンダードっちゅう価値観も生まれてきてる国ですが、その直前の時です。
こっから数年で一気に中国が発展を遂げるわけなんですが。
「俺もなんかできんちゃうか」と会社の看板下ろして初めて気付いた。
「あ、名刺ない。どこの大森や?何ができるかな?」と。(アホでしょ)
今思えば無謀なことしてたなと思いますが、時すでに遅しです。
でもポジティブに考えると、
自分にできること(他者が求めるor認める自分の価値)を考えて考えて、それを見い出す状況を無理やり作る
これを毎日人と会う前に考えるクセをつけると「自分の価値」を意識できるようにはなります。もちろん仕事軸で考えると実績がないとあかんので、ここからはもう実績づくりが物言うと思います。
そうなんです。私は会社に属していた頃、これが全然できてませんでした。
だって立つ打席は用意されてるし、空振りしても給与はもらえる、打率3割でも周りが2割やから表彰までされる。それに会社組織にはチームがあるからね。頼りになる上司や先輩もおるし、悩みを聞いてくれる同期もおる。
個人になったらそうは言うてられへん。バット握って打席たったら当たるまで振るしかない。しかもバットが短いし細いねん!ぜんっぜんあたらへんやんw
いや、そもそも打席に立たせてもらえへんことの方が多いかもしれん。
ほんで当たらんかったらあれです、メシ食えへん。もう親に泣きつくか借金するか死ぬか。とか考えるしかなくて。(あくまで私個人の場合です)
そうやって「自分の価値」を見つけて、作っていくことを中国で学びました。
海外やからこそできたことかもしれんけど、結果これは私にとっては新しいアイデンティティを形成するきっかけになったと思います。
次回は暗黒時代についてもう少し詳しく書いていきたいと思います。
おおきに
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