鬱とのつきあい 8 どん底

8歳年上の姉は、舅が亡くなってから薬も受け付けなくなっていた。義兄は自分の母との間に挟まれ、大変な思いをしたと思う。

姉が最初に農薬で服毒自殺を図った数日後に、姑が自殺未遂を起こした事があった。息子の争奪戦のようなものである。
その後も姉は海で入水自殺を図った。
具合が悪くなるたびに、我が家に連れてきて落ち着くまで目を配るのだが、これがまたとてつもなく私の神経を鋭敏にした。

妄想、幻覚、幻聴。
姉の病気の原因を知りたくて、私は姉の世界へと毎回入り込んでいった。彼女の言うことを否定せず、どんな世界にいるのかを探ろうとしたのだ。

これは、恐ろしく気力を消耗した。
母の介護疲れもあり、3時間ほど面会した後は近くのレストランで1時間以上休息しなければ運転が危ぶまれるのだ。
帰宅すれば、「あんな病気の娘は死んでしまえばいい」と言って見舞いにも行かない母が、テレビを見て笑っている。
腹立たしいにも程があった。
姉の病気に関しては、父親の方が親身になっていたのだ。

ひと月の入院の間に分かったことは、姉に死を迫る声の主が父親だと言う事だけ。
私達二人の自殺願望や自己肯定の低さは、幼い頃聞かされ続けてきた父の言葉のせいだった。

発病のきっかけは、仕事のミスと、嫁としての在り方を両親や叔母に徹底的に責められた為だと思う。真面目すぎて考え方が柔軟で無かった故に、逃げ場を失い発病したのではないだろうか。

第一子の姉が生まれた頃にはまだ叔母が2人未婚で、よくつねられてはいじめられたと聞いている。
たった一人で喧嘩屋の中で暮らし、叔母たちに虐められ、父には罵倒されてきた。
一方、私は末っ子で、どんな時でも兄姉が一緒にいてくれた。祖父にも溺愛されていた。
姉の育った環境に比べたら、遥かに恵まれている。
うつ病でとどまった私と、統合失調症を患った彼女との違いはここにあったのではないだろうか。

私は精神病の専門家ではない。独学で学び続けて来ただけだ。だが、双子に間違われるほど似ている私達の違いは生育歴だけなのだ。
同胞(兄弟姉妹)が居るかいないか。それは、思っている以上に大きな影響を与えたと、どうしても思わずにはいられない。

今姉は、通院もしていない。
食事を嫌々作るのみで、一日中寝ていると聞く。口を開けば大声で怒鳴り散らし、手に負えないと。
次男は早くに結婚し、自分の人生を歩いている。が、長男は母親が死ぬまで結婚はしないと私に言った。絶対に母親が問題を起こすし、ペースメーカーを入れている父親のそばにいて、少しでもストレスを減らしてやりたいと。

喧嘩屋で育ち辛い思いをした私は、姉兄に子供ができたら同じ思いをさせたく無いと、15歳の時から思っていた。
その為に、姉兄と絶対に喧嘩はしまいと決心して生きて来たのに、今、私以上の苦しみを抱えて生きている甥の気持ちを考えると、どうにもいたたまれない。
そんな姉と連れ添い続けている義兄にも、申し訳ない気持ちで一杯だ。
義母を嫁いだお姉さんに預けてまで、姉と暮らし続けてくれている。遠くへ嫁いだ私には、もはや何も出来ることはない。いや、たとえ近くに居たとしても、無力であることに違いは無いだろう。

統合失調症を患った姉も気の毒だが、家族の精神的な負担を考えると胸が痛むなどと言う言葉では表現できない痛みが走る。
これだけ医学の発達した現在、何故治療法が無いのだろうか。矛先を間違えていると思いながら、どうしても腹立たしくなる。

相続問題のあと私の鬱が酷くなるだけでなく、両肩に激痛が走るようになった。整形外科に何ヵ所も診断を受けたが異常は無いと言われた。あらゆる治療を試したが、耐え難い激痛で仕事も出来なくなりやむを得ず辞職した。
もちろん、兄と相談をした上で。

何しろ痛み止めも効かないし、横になっていても酷い激痛が走る。何とか食事は作っていたものの、それ以外はほぼ寝たきり状態だった。
相続問題以来酒量の増えていた兄は、その内私に不満をぶつけるようになる。

ある時私は、「俺が面倒を見てこなければ、お前はのたれ死んでたんだ!」と怒鳴られた。
確かに。
それは間違いでは無い。病弱だった私は、兄がいなければ普通の暮らしもできなかっただろう。
でもそれは。その言葉は、私の息を決定的にとめてしまった。
私は泣き叫び、大人になって初めて兄と大喧嘩をした。その日から、兄は私にモラハラを続けるようになる。
私は、食事を作る時以外部屋に閉じこもるようになっていった。

何が気に食わなかったのか、未だにはっきりとしない。
私は、兄にすら恐怖を覚えるようになり、一層鬱が悪化して行った。世界にたった一人だけ取り残されていた。

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