鬱とのつきあい 7 うつ病の原因

前の章で書いたように、我が家では叔父叔母がしょっちゅう揉めていた。
そのせいか父は短気で、何か気に入らない事があるとすぐ口汚く罵りまくった。
「出て行け」「死んでしまえ」は当たり前。
今風に言えば、モラハラの最たる物だった。

叔父叔母達の喧嘩は、常に大声で罵倒し合うものだった。
嘘のような話だが、いつも何かを言った言わないの騒ぎになり、何月何日何時何分に言ったのかと、大の大人が子供のようなセリフを言うのを、毎回聞かされていた。
それを初めて聞いた時、大人というものは歳をとったら成れるものでは無いのだなと子供心に痛感すると共に、長男の家に産まれたことを初めて呪った。
だって、他のいとこ達はそういう凄惨な場面に立ち会わずに済むのだから。(後に、決してそうでも無かったらしいと知るのだが)

冠婚葬祭などで親類が集まると、必ずと言っていいほど喧嘩が始まるので怖かった。盆正月も恐怖でしか無かった。

父が亡くなる頃には、長男派は次男と次女だけになっていた。長女が何故抜けたかは覚えていない。一時、両親を騙して私を養女にしておきながら(1年と経たずに、彼女の異常さに気づいて逃げた)いつの間にか父と敵対し、弟妹達とも付き合いは無かったようだ。

父の死後、相続問題で甥たちに迷惑をかけたく無かった私と兄が'(姉はすでに発病していたので)手続きの書類を作成して相続者全員に送った所、長男派の筈だった次男がこう言い出した。
「兄貴が死んだら、俺が長男だ!」
都市銀の支店長まで勤めた人だ。法律を知らないはずが無い。
その時、穏やかで怒った所を見た事のない兄が怒るのを、初めて見た。

相続したら土地家屋を売り払い叔父叔母に全て分配するつもりだった兄は、家を売る際の見積書をはじめ、すべての書類を叔父に送り付けた。
その時、末の叔母が権利書を持っている事をようやく暴露したようだ。
私達は、叔父が寄越した書類に署名捺印して放っておいた。300万ほどの土地家屋を売り、残った叔父叔母で勝手に分けてくれて構わなかったのだ。
しばらくして、兄に権利を譲る旨の書類が届いた。
再び兄が烈火の如く怒り、郵送では受取拒否されるから、今夜のうちに叔父に叩きつけてくると言う。
余りにも理性を失っていたので、次女のご主人が同行するから待てといい、水戸から松戸まで付き添ってくれた。

30年、いや、それ以上の長きに渡って揉めている親類と、一切の関係を断ちたい一心で新居を購入した兄としては、何としても相続したく無かったのだろう。

その後、いろんなことを経てその土地家屋は300万で売り払われ、押印代として私達兄弟3人に10万ずつ送られてきた。従姉妹の代までの判が必要だったから、22人ほどに払われ、残りは税金がかかるからと、次男が持っていた。

この叔父、更に驚くべきことをしてくれた。
祖父母の永代供養を、私達と次女の叔母に無断で決行したのだ。
これにも兄は激怒した。
そして、この頃から酒量も増えていったようだった。

私はわたしで唯一の親類となった叔母の声さえ聞くのが怖くなり、彼女がくると連絡があると過呼吸の発作を起こすようになっていた。
大きな声や音がすると、ビクッとする様になったのもこの頃からだ。
遠方に嫁ぎ、献身的な夫の愛情で随分と良くはなったが、未だに大声や大きな物音には怯えてしまう。
テレビを見ていてもその症状は起こる。

両親の虐待と、子供が生存するには厳しい環境とが、私の鬱の原因のひとつなのは明らかだ。
そして、私の置かれた環境より厳しい環境に置かれた姉の統合失調症の、原因のひとつでもあるのだろう。

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