見出し画像

iPhoneに向かってひとり語りをしてみる

リビングで横になってテレビでYouTubeを観ることが多くなってきた。今までYouTubeには個人のスマートフォンで観るようなコンテンツばかりだったが、家族でも観ることができるコンテンツが増えてきたことが要因だと思う。お笑いタレントが公開しているキャンプの動画などを妻と観ながら、お肉を焼いているシーンで「美味しそう」だの「この鉄板ほしいね」だのと言いあうのだ。観た後は妻と共同で使っているアマゾンの欲しい物リストにキャンプ道具がそっと追加されている。

Netflixで公開されているテラスハウスというリアリティ番組の映像の質感が気に入っている。6人の男女が素敵な家で共同生活をしているのだが、作られた台本はなく、そこで繰り広げられているのはいたって平凡な日常。特別でもない普通の生活のワンシーンを切り抜いて繋げてストーリーにするような手法。生活音も映像とともに効果的にストーリーを盛りあげる。人の会話も「生活音」の一部のように聞こえるくらいおとなしくストーリーが流れていく。もちろん、BGMがはいることもあるが、BGMがはいっていないときのほうが想像力を掻き立てられる。BGMは映像に意味づけをしてしまうので、自分の脳内でBGMを選ぶことができる生活音が聞こえるシーンのほうが好みだ。

そういうことで、家族で韓国に旅行に行ったときくらいからiPhoneのカメラを起動して生活の一部を切り抜きはじめた。家族でキャンプに行ったときや、出張に行った先などで、約8秒くらいの長さでこまめに動画を撮り、自宅で繋げて一本の動画にしている。すでにテラスハウスの映像の質感から程遠くなっているのだけどBGMをつけずにYouTubeに公開している。おそらくVlog(ビデオブログ)と呼ばれるジャンルの動画だ。

あまり閲覧数を気にせずやっていくつもりだったが、公開して一週間くらい経ってくると徐々に閲覧数がほとんどないことが気になってくる。試しに他のVlogを探して観てみると投稿者が顔を出してカメラに向かって喋っている。僕が表現したい世界観と違うけれど、おそらく顔を出して視聴者に向かって話したほうが観ている動画は楽しいし閲覧数も伸びるだろう。よし、顔を出して視聴者に話してみるか。

撮影しているiPhoneに向かってひとり語りをしてみる。ちょっと明るめに話したほうがいいのだろうけど、どうしてもボソボソした喋り方になる。Vlogをやっている人はどのようにして明るく話しているのだろう。撮影した動画を観てみると暗い顔した日本人男性が明るいセリフをボソボソと話しているだけだ。これは駄目だ。映像も性格も暗すぎる。

写真はまだ耐えることができるが、ラジオにでているときの自分の声や、映像になったときの自分の動きを見聞きすることがとても苦手だ。醜形恐怖症というやつだろう。第16代アメリカ大統領リンカーンは「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言ったらしい。すでに40歳も超えているというのに、まだ声質・顔・身体などに責任どころか自己肯定感すら持てていない。自分で思っている理想の自分よりiPhoneで撮影された現実の自分が気持ち悪いのだ。

自分がナルシストかもしれないという疑念にぶち当たっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?