noteにアウトプットすることの危険性
先日、この記事を投稿しました。
でも、改めて読み返しても、どうもシックリ来ない。
他の記事も同様です。
どこかお上品で、嘘ではないにしても綺麗事のフィルターが掛かっているような内容で、自分の書いた文章とは思えません。
僕はこんなにお行儀の良い人間じゃないだろう・・
もう、全ての記事を削除して、最初から書き直したい。
そんな衝動に駆られてしまいました。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
noteを書き始めた本当の理由
僕がnoteを書き始めたのは、
「新たなビジネスを作っていく上で日々の思考過程をoutputしておきたい」
という想いでした。
僕は昨年の春、それまで勤めていた会社を退職しました。
その理由の一つが、ずっと追い求めてきて未だ完成していない、起業への想いを実現する。
ということです。
「僕は起業家として、どんなビジネスをやりたいのか」
退職してからの半年間で、100個近いビジネスアイデアを考えました。
その中の1つが、「ビジネス創造プラットフォーム」でした。
アイデアの出発点は、僕自身が欲しいもの、だったはずです。
働くことが好きで、自分でビジネスを作りたくて、一度事業に失敗をしていて、その後、いろいろな理由で再チャレンジが出来ていなかった僕が、
これは欲しい
と思えたもの。
それが、多くの候補の中からこのアイデアを選んだ理由だったはず。
でも、アイデアをビジネスモデルとして具体化していく過程の中で、いつの間にか万人向けに汎化してしまい、結局、何を実現したかったのか良く分からなくなってきてしまいました。
そこで、noteに日々の思考の過程をoutputすることで、僕自身の頭の中を整理しようと考えたんです。
noteの記事を読みなおすことで、方向修正もできるし。
だから、僕のnoteは、本当は誰にも読まれなくても良かったんです。
別にプライベートな日記でも良かったんですが、それだと手を抜きやすくなるし、outputすること自体もサボってしまう可能性がある。
noteの記事として公開することで、書くことに強制力を持たせよう。
もしかしたら、興味を持ってくれる人もいるかもしれないし。
そう考えたんです。
記事の中では他人になってしまう大人心
ところが、記事を書いて投稿してみると、それなりに多くの人が読んでくれていることに気付くんですよね。
「スキ」をもらおうものなら、ご丁寧に通知まで届いて
「あなたの記事が読者に届いています」
と言われてしまう。
そうなると、あまり泥臭い思考を発信することに、気恥ずかしさを感じるようなってくるんです。
顔写真も公開してるので、尚更です。
年齢的にも、noteの住民の中では高い方なのでしょう。
だから、物事が分かっている成熟した大人を演じたくなってくる。
その結果、発信する内容は、当たり障りなくデフォルメされた、毒も牙も無く思いも薄い、他人事のようなものになってしまったんです。
更に悪いことに、一度outputすると、その思考が自分自身に刷り込まれて、僕の本来の考えであるように錯覚してしまうんですね。
そして、それをinputにして次の思考を進めようとするので、ますます変な方向に向かってしまう。
完全に思考の迷宮です。
そして、今、僕のビジネスアイデアへの考えは、微妙に方向性がずれてしまっているように思います。
noteで自分の考えや主張をoutputしている皆さんは、こんなことはないのでしょうか。
軌道修正
年齢を重ねると、恥をかいたり見透かされることを恐れるようになります。
周囲からも、落ち着いてちゃんとしていること、が当然と見られるので、
そのイメージに背けなくなる。
その結果、持っていた毒も牙も失くして円い人間になっていく。
人が大人になって円熟するって、そういうことでしょうか。
でも僕はビジネスでやりたいことを、まだ達成できていません。
過去に一度起業して、そして失敗した経験があるだけです。
それから長い年月が経っています。
起業家としても経営者としても、全く円熟していない。
スマートなビジネスプランやビジネス感なんて語れるはずがない。
だから、日々迷い、考えを重ね、悪戦苦闘している。
それは、何も恥ずべきことではないはずなんです。
見回してみると、世の中には、毒や牙を隠さない良い年の大人が結構います。
成功している経営者には特に多いように思います。
周囲のイメージに合わせてお行儀よくしていたら、経営なんてできないでしょう。
僕も、覚悟を決めて会社を辞めて、再挑戦の機会を得たんです。
大人ぶって落ち着いてる場合じゃない。
だから、ここで軌道修正します。
頭の中をoutputするという手法は、上手く使えば大きな効果があります。
inputとoutputを繰り返すことで、散乱した思考を整理することも出来ます。
でも、使い方を間違えて余計な感情が混じると、自分の思考を自分以外の何かに導いてしまう、劇薬なのかもしれません。
過去の記事は、一旦、全て削除しようかとも思いましたが、一部は書き直して、後はしばらく残しておこうと思います。
自分自身への戒めのために。
この記事は、僕自身のために書いたものです。
読者の方には全く役立たない内容かもしれません。
それでも、もし、ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら
どうもすみません。
そして、ありがとうございました。
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