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「危機意識に乏しい日本人〈後編〉」~その真因とそこから脱する手立て

4月に出版した『なぜ、それでも会社は変われないのか』(日本経済新聞出版本部)を書いたのは、私たちの国日本が今陥っている「危機の打開策」を提示するためです。私たち一人ひとりが、問題構造の全体像を捉え、危機を打開する可能性を身近に感じることで、自分たちの国が直面する危機の当事者になりやすくなることを目的としています。

働き方改革が叫ばれるようになってしばらく時間がたちます。長時間労働を減らすことや、非正規労働者の待遇を改善する努力はそれなりに続けられています。しかし、決定的に不足していると思われるのは、問題の本質に迫る議論です。

調整文化の思考に慣らされた私たちは、問題にぶつかるとどうしても、「どうやって対処するか」だけに関心が集中する傾向があります。問題の本質に迫るための議論が、いつの間にかなおざりにされてしまうのです。

■すべての問題は「労働生産性の伸びの低さ」に起因する

40年以上前にはジャパン・アズ・ナンバーワンと言われることもあった日本ですが、今や坂道を転げ落ちるような後退が始まっています。その現実を目の当たりにしているにもかかわらず、島国であるうえにガラパゴス化しているとも言われる日本には、危機感が欠如しているのです。

今、日本に起こっている様々な現象の発生源はそもそもどこにあるのでしょう。
それは日本の「労働生産性の伸びの低さ」にある、というのが私の仮説です。他の競合国がこの数十年の間に急速に生産性を伸ばしている中で、日本も懸命の努力は続けているにもかかわらず、その努力が生産性の伸びに結びついてはいない、という厳しい現実があるのです。

伸びていかない生産性レベルを前提に、企業業績で株主の期待に応えようと思えば、徹底した無駄の削減を伴う合理化が必要になります。そこで採用された安易な解決策のひとつが労働分配率の圧縮でした。そうした合理化の結果が、生活に余裕のない非正規労働者を数多く生み出したのです。

結果として、生活に余裕がないことが出生率の低下をもたらし、人口減を招きます。こうしたことが間違いなく日本の将来に暗雲をもたらしているのです。

■労働生産性の伸びの低さは必然的にもたらされた

ではなぜ、労働生産性は他の競合国のように伸びないのでしょう。
それは、平成の時代を通じて、それまでの日本に息づいていた挑戦文化が影をひそめるようになり、本社主導の守りの文化である調整文化が勢いを増してきたからです。このような環境の中では、いくら旗が振られようともイノベーションは起こりにくく生産性は伸びません。

合理化を主導するのは本社です。本社は全社の安定に責任を持っているので、守りを旨とする調整文化に染まりがちだからです。そもそも調整文化は日本の社会規範に基づいているので、日本人の体質、特に優秀で知的な人々には受け入れられやすいのです。
平成の時代は現場発の挑戦文化が勢いをなくし、本社主導の調整文化が席巻し、イノベーションが起こる環境を後退させてきたということです。

■調整文化は守りの文化であり思考停止の文化でもある

従来「大企業病」とも言われていた現象を、「病気」としてではなく「伝統に由来する文化」と捉え、構造化しようとしたのが調整文化という現状の捉え方です。ただ、調整文化と名づけてその問題点を指摘しているからといって、何も調整自体を否定しているのではありません。それどころか、日本人が持つ調整能力は非常に優れたものがあるとも思っています。

私が調整文化と名づけているのは、調整自体が目的であるかのような調整が横行している思考停止状況を指しています。手段がいつの間にか目的となってしまう。そして、先ほど触れたように、問題にぶつかるとすぐに「どうやって対処するか」から思考をスタートさせる。

調整文化は基本的に安定と守りを重視した文化なので、攻めのイノベーションには不可欠の、ものごとの「前提を問い直す」といった面倒な思考には時間を割きません。
しかし、生産性を本気で伸ばすつもりなら、イノベーションは不可欠であり、前提を問い直すことなどを避けては通れません。調整文化が優勢である限り、思考停止のこの文化が席巻する中でイノベーションが活性化しないのは当たり前の結果なのです。

■問題の全体像を整理して捉えることで違和感は危機感に切り替わる

何とかしないと今のままではいけない、と多くのまともな人は思っています。頭の中では「挑戦が必要」「ベンチャースピリッツが必要」と本気で思いながら、自分が実際にやっている判断や行動は、無意識のうちに調整文化の価値観に基づいている人が多いのが実態です。全体像が把握されていないがため、自分の言動の意味が把握しきれていないのです。

ではどうすればいいのか?
まずは問題の「全体像」を捉えることが必要なのです。もちろん、私がこの本で提示した「全体像」はあくまで仮説でしかなく、進化発展してくべきものです。ですから、4月に出版して以来、同じようなテーマで10回以上の講演を私はしてきましたが、正直なことを言えば、毎回新たな気づきを得ています。
その結果、私にとっての「全体像」はつねに進化し続けているのです。

つまり、私が提示した「全体像」の仮説は答えそのものではなく、あくまで多くの方が様々な実践と議論の中で進化させていくきっかけをもたらすものです。多くの人が自分の頭で考えることで「全体像」のさらなる進化がもたらされ、「全体像」は自分のものになる。そして、それまで持っていた違和感は危機感になっていく、ということです。

■全体像が見えてくると部分の改革も効果が定着する

この本では経営のチームビルディングの具体的な例を取り上げています。それは、挑戦文化を会社の文化に定着させるには、トップの意思が大きな役割を果たすことがはっきりしているからです。

ひとつの支店や事業部が、自分のところを挑戦文化にしていくことに取り組むことは可能です。以前はせっかく成功しても全体像が捉えきれていなかったがため、それがなぜ成功したのかを十分には説明することができませんでした。組織全体にその効果を十分に波及させることができなかったのです。しかし、全体像が明確になってきている今なら、支店の改革を会社全体に広げていくことができる可能性は高まります。

「全体像」を明らかにしていくことで、部分の成功が、全体の変化につながる可能性が出てきた、ということです。そういう意味では、「全体像」をさらに精緻にしていくことが最も大切なことであるとも言い得ます。

日本を本当に変えるために、この本がみなさんの議論の材料になることを心から願っています。


『なぜ、それでも会社は変われないのか ~ 危機を突破する最強の「経営チーム」』 柴田昌治 著(日本経済新聞出版本部)

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