見出し画像

「女性の持ち味を生かす〈前編〉」~ 日本の男女格差とは?

ドアの前で女性に先を譲ることを身体が覚えているのが欧米の男性。かたや「レディファースト」という言葉だけが独り歩きするのが日本という国。
騎士の精神と武士道は、同じような存在に思えますが、実は似て非なるもの、とくに女性への接し方においてはまったく違うもののようですね。

■西欧の「騎士の精神」と日本の「武士道」の違い

ここで騎士道とはあえて言わず、「騎士の精神」と言っているのには理由があります。
“道”という表現に込められているような、“道を究める”といった日本独特の「ひたむきさ」を騎士の世界に見出すのは難しいと思うからです。

西欧の騎士の精神で大切されているのは、ジェントルマン(紳士)であることを前提に戦いにのぞむ勇気とその強さです。騎士というのはそもそも戦士なのですから当然です。
それに対し、日本の武士道、特に明治以降今日まで伝えられてきているのは、戦いがなくなった江戸時代に熟した武士道です。

この武士道は、戦国時代のそれとは違い、戦いなどなかった江戸時代に発達したものですから、外国との交流を厳しく制限された社会における支配階級であった武士が、安定した社会を維持するために必要とした倫理観でした。

いうならば、主君の下でガバナンスを利かすという役割を果たすのに必要とされてきたのが武士道だったわけで、そもそも戦いに強いかどうかなどは意外なほど問題とされてこなかった、ということです。

前述のとおり、騎士の精神と武士道の決定的な違いのひとつは、女性に対する姿勢に表れています。

騎士の精神では、神への信仰に対しては絶対的な忠実さを求めますが、主君に対しては契約関係です。そして、紳士であることが騎士たるものの前提なので、紳士として女性を大切にすることを何よりも重視するのが騎士だということです。

それに対して、武士道は、主君に対して明確な序列関係で構成されており、主君に対する忠義を貫くことが武士道という価値体系の基本です。そして、この主君を頂点とする序列関係は隅々まで張り巡らされ、男女間の序列関係も明確に男尊女卑が基本になっている、ということです。

なぜ歴史家でもない私がこんな武士の話を持ち出したのかといえば、今世間を騒がせているジェンダー問題の根元は実はこういうところにあると考えているからです。

■序列感覚がゆがめる人間関係

日頃とくに意識することもないのですが、私たち日本人には「対等」という感覚はごく限られた人間関係の中にしか持っていないように思えます。つまり、基本的には序列という感覚を常に持って人間関係を見ている傾向があるように思います。

大人の世界で席順というのをいつも大事にしているのも序列意識の一種ですし、先輩後輩という表現や年齢の上下もそうですね。序列関係の中に自分を置くことで、気分的に落ち着きが生まれる、というのが良いとか悪いとかではなく、私たち日本人の特性であるように思うのです。

この傾向は属している組織によってもかなり違いがあるようですが、たとえば伝統のある会社なら、お互いの入社年次をたいていの人が諳(そら)んじているものです。出身大学などもそれに付け加わってくるのが旧来の日本の会社です。

この序列をつけて人間関係を見るという感覚は、あまりにも当たり前過ぎて、そのことに何らかの問題が潜んでいる可能性がある、という認識はほとんどないのが実態です。こうしたことなどは、まさに「私たち日本人が持つ美学であり、体質ともなっている武士道」の延長線上にある、と言ってもいいものだと思われます。

この序列感覚は、当然のことながら、社会規範の一部として男女間にも持ち込まれているわけです。

第二次大戦後、民主主義という非常に大きな価値観の転換を含む仕組みが持ち込まれてきました。それを受け入れたのですから、形の上では男女平等が当然になっているはずです。
しかし、こうした形式上の話と、私たちが持っている日常感覚との間には明らかに違いがあります。

男尊女卑とまでいうのは少し言い過ぎのようにも思いますが、男女間に序列をつけてものごとを見ている、というのは私たちの社会生活の中ではごく当たり前のことでもあるのです。

■女性経営者への可能性

最近では、女性の優秀な経営者もいらっしゃるのはよく知られたことではありますが、ごくごく少数であり、そういう意味ではやはり例外でしかありません。

多くのオーナー経営者と話をしていると、子供さんに娘さんしかいないとき、後継に悩まれる方が多いのは事実だと実感します。何が理由かはわかりませんが、娘さんが経営者の目から見て、後継にはふさわしくないように映っているのだと思います。

それに加え、いまだに女性を取り巻く環境が、女性であっても経営者をめざすことを当たり前にするものになっていない、つまり当事者である女性も自らをそのようには評価していないことが多い、ということが現実であるのかもしれません。

私が大切にしていることのひとつに、「強みを見出す」というキーワードがあります。私は、たとえば戦略においても、まだ誰も気づいていないような隠れた強みを見出し、それが生かされる戦場を選んで闘う、といったことを大切にします。

そういう意味では、女性の経営者を考えるとき、社会の見る目がまだ厳しいとかその他もろもろの制約を問題にするのではなく、その持ち得る強みを上手く引き出して、それが生きるような舞台を中心にその力を発揮してもらうことを可能にする、といったことが必要だと考えられます。

いずれにせよ、何よりも大切なのは、女性を取り巻く制約を取り払い環境を整備すると同時に、女性自身も「自分を信じる力」、しっかりとした自己肯定感を持つことが必要だと思うのです。キチンとした自己肯定感が育っている女性であるなら、その活躍の可能性は非常に広がる、ということが私の経験上から言い得ると思います。

このあたりの話は、次回の〈後編〉で触れていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?