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第2回:『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』(2019)

単純に、その場の空気感が羨ましいなあ、と映画を観た時に思った。


『三島由紀夫 vs 東大全共闘 50年目の真実』は、1969年5月13日に東大駒場キャンパス900番教室で行われた討論を舞台にしたドキュメンタリー映画だ。まず登場人物がすごい。全共闘の主要メンバーで随一の論客と言われた芥正彦(のちに劇作家)や当日の司会を務めた木村修、そして社会学者としても著名な橋爪大三郎が当時の雰囲気を語っている。さらに、三島由紀夫が率いた民兵組織「楯の会」のメンバーや、三島と親交のあったマスコミ・文化人など総勢13名が、思い思いに当時を語る。特に、900番教室にいた全共闘やマスコミ関係者の話ぶりは、50年前の出来事にもかかわらず、あたかも昨日までそこにいたかのようだった。



映画は討論会当日の時系列に沿ってある意味「淡々と」進んでいく。はじめに三島が語った10分間の挑戦的なスピーチから、芥正彦との論戦、そして天皇論をテーマにした全共闘と三島の意外な「共通点」について。特に、芥正彦との討論は、観客の僕たちを圧倒させる。


生産関係に紐づけられた学生という立場の矛盾

三島は言う。「教室にある机は講義に使用されるが、用途の変更によってバリケードにもなりうる。モノが生産関係から切り離され、闘争目的のために使われることによって、初めてモノの存在を認められる」と。

ここで三島は全共闘運動、特に東大全共闘は自己認識の自覚を暴力という生産関係から切り離された行為に求めていると指摘しており、その点で机と東大生は同じことだと主張している。

この指摘は面白い。確かに、東大全共闘は他の大学が「学費の値上げ」や「大学施設の運営権確保」などを目的としているのに対し、「自己変革」を目的にしているからだ。というのは、東大生は苛烈な受験戦争を勝ち抜いたエリートであり、卒業後も安泰で社会的地位が保障されている。口では打倒資本主義を掲げながら、卒業後は憎むべき対象のブルジョワジーに位置付けられる。東大全共闘は、この強烈な自己矛盾を共有していたからこそ、三島の指摘が響くのだ。


しかし、芥も負けていない。「大学という生活形態のなかでは机は机だけれども、大学が壊れたら机の用途は何にでもなりうる。その関係の逆転にこそ革命があるんだ、そこにはじめて空間が生まれるんだ。その意味で三島さんは敗退している」と左手に子どもを抱え、右手にタバコを挟みながら、反論する。三島は日本人という認識に浸っているだけで、そこからの超越を試みていない。結局は認識だけが先にあって行動が伴っていない(だから僕らに響かない)、と。

これは戦争を生き残ってしまった三島の胸に深く突き刺さる。三島の世代は等しく「死ねなかった(行動できなかった)」という感情を共有しているからだ。現代と違い、当時の人間は国運と個人の運命がシンクロする認識を持っていた。だから、8月15日の敗戦は単なる戦争終結ではなく、大袈裟に言えば「自己が消滅した日」と言える。結局は観念論に終始し、行動せずに終わった人間だと芥は皮肉をこめるのだ。前衛芸術を通して人間の変革を試みた芥だからこそ言えるこの指摘に、観ているこちらもハラハラさせられる。


「天皇」を介して到達する意外な共通点

終始このような討論を繰り返しながら、話題は徐々に学生運動の本質的な問いに向かっていく。しかもそれは三島の思想の柱である「天皇」をテーマにして。

のちに評論家となる小阪修平の「天皇という観念を共有できるのであれば、そこに天皇という名前はいらないのでは」という問題提起に対し、三島は言う。「諸君が天皇とひとこと言ってくれれば、俺は喜んで諸君と手をつなぐのに」。

要するに、国家や既成概念からの独立を目指す全共闘運動は、親米に成り代わった戦後保守に反対する三島のナショナリズムと本質的な部分で共通点が見出せるのではないか、と考えたのだ……。


言葉のもつ可能性

最終的に、相対する2つの価値観が、「言葉」によって1つの論理的帰結を迎えることとなった。この「言葉の可能性」にこそ、冒頭で僕が羨ましいなあと述べた理由がある。

言葉は力を持っている。異なる価値観であっても、考えを突き合わせ昇華することによって思いもよらない結末を迎えることができる。この教訓は、これからを生きる僕らにとって重要なものとなるだろう。少なくとも、僕はそう思っている。

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