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Facebookに長文を載せる癖がある。
それを、思い出と称して毎日過去の同じ月日の投稿を見せてくれる。その中で気になったのをnoteに残していこうと思う

2019年2月のFacebookから…

伊藤家の茶碗洗い担当は長男。

彼が中学一年生のころからそう決まったので、かれこれ15年間そうなっている。

「なんで、こんなことになったんだろう?」なんてぼやいていた時もあったけれど、大学時代、私と気まずかったあの時も、社会人になってからも彼は朝出かける前に前日の夕飯の食器を洗うのだ。

その、なんていうか、淡々とそれを行う長男を私は尊敬すらしてしまう。弟たちは特に何もしない。けれどそれに対して長男は何も言わない。自分だけなぜ?なんて私なら絶対に訴えそうなことを決して言わない。

そんな彼が
「家事労働の中で一番ストレス解消になるのは、食器洗いらしいよ」
と言ってきた。

「なに?それは、ストレス解消になるから、お母さんやったらいいんでないの?」
と言いたいのか?そうだ、きっとそうだ。と思い、絶対そこには気づかないふりをしよう!なんて心が動揺しながらも、
「あーん、だからあなたはストレスないんやね?」
と言ってやった。

そしたら、


「そうねんて、俺ストレスないもん」と言い放った。


ああ、神よ許したもう、この浅はかな邪な母を、そして、何疑うことなく淡々粛々とにこやかに食器を洗う彼にどうかどうか祝福をお与えください。
と拝みそうになった。


まったく、誰が育てたのやら。いやきっと生まれ持って備わった性格なんだろう。私の中に彼のような見返りを求めない行動を起こす部分は重箱の隅を引っ掻き回しても見当たらないのだから。
彼のお父さんはそれほど大きな器があった記憶がない。(ここはあまり掘り下げたくない)

でも、確かに、台所仕事というのは、ストレス解消になる。
私は腹が立ったり、悶々としだすと台所掃除をしだす。台所が片付いてピカピカになおかつ整然となると気分がすごくよくなる。
料理も私にとっては1日のストレスの清算行為に違いないことにはとうの昔に気づいている。

茶碗洗いも多分私がやれば夜の間に終わらせて朝起きて綺麗な台所になっていればもっと気持ちがいいスタートを切れることだって知っている。

知っているが夕飯の食器を洗わないその仕事を人に任せるという行為が私の何かしらの心のリハビリになっている気がしてならない。まして、長男は何も言わないのだし。

でも、多分、ストレス解消の話は多かれ少なかれ抵抗したかったんだろうなと思うのだけれども。
「あんたって、ほんとかわいいやつだよね」
とつい面と向かって言ってしまった。

なんか、健気で愛おしい。

言われた本人は、ふふっと口元で笑って「ごっそさん、美味しかった」と自分が食べた食器をいつも通り台所に出しに行った。
いつか、もっと歳をとったら本当はどう思って毎日茶碗を洗っていたのか聞いてみよう。

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