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画像生成AIユーザーへの嫌悪感の正体

私は絵とか描かないから外野の意見なんだけどさ、
画像生成AIに他人の作品を学習させてオリジナル作品を名乗ることの是非って、嫌悪感としてはコラージュとかトレースが近くない?
学習って言葉が使われるせいで模写を引き合いに「何が違うのか」的な話がされるけど問題点がズレてる。

多くの絵師や漫画家が気にしてるのって他人の作品を「素材」として使うのはルール以前に創作者としていい気分はしないよねって話で、使ってる道具がコピー機だろうがフォトショだろうが生成AIだろうが関係ないと思うのよ。

本人が描いた絵をAIに学習させて生成するとかは何の問題もないわけじゃん。トレパクとかコラみたいに「他人の作品を素材にする手法」で「金稼ぎやバズを狙う人」が嫌悪されるのと根幹は同じっすよ。多分。
もっというと人の褌で相撲を取ってる自覚がないというか、オリジナルを自称するような、たちが悪い輩もいたりする点も同じよね。

模写がセーフ扱いなのは目と手を使うなってのはさすがに無理筋な主張だと絵師側も何となく感じてるってのと絵師も通ってきた道だからじゃない?
模写されるのが不快かどうかは別問題としてね。(まぁ普通に考えたら「あなたの作品を模写して投稿してます」は気色悪いけど。)

著作権とかの法律は詳しくないけど、新しい技術に対して制度が追いついてない状態なんだから、声優みたいにあんまり人のふんどしを乱用する輩が増えると制度的にはつまんねー使い方しかできないようにするしかないよねって話になっちゃうと思うけどね。

「線を描く技術」と「呪文を書く技術」は別とか、AIに生成させるのは創作活動か否か、なんてのは上述の嫌悪感とも制度とも全然関係ない哲学的な話だと思うんですが違うんですかね。

ちょっと話は変わるけど、AI絵師って言葉も誤解を生む表現だよな。
生成されるものが素人目には似たように映るってだけで、必要技能とか創作目的とか制作手順は異なるんだから文筆業みたいに色んな呼び方が絵にもあってもいいんじゃないの?
ライターとか物書きにも小説家、評論家、エッセイスト、詩人、ブロガー、ジャーナリスト、編集者とか色んな呼び名があるじゃん。
まぁSNSに跋扈してるバズ目的で生成AI使って創作活動してる人々的には「絵師」を名乗ることに意味があるのかも分からんけどね。

※ヘッダー画像はbingさんが考える「AI生成だと思われやすい画像」です。

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