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墨子 藏と楽を考える

 今回は墨子に読解に関わる独り言せんし、その極々、少数の方は専門研究家の方々ですので、ここでの土素人の戯言には興味を持つ可能性はありません。つまり、まったくに独り言ですし、公衆便所の落書きみたいなものです。
 さて、個人として墨子54編の全文に対し日本語訳を付けたと、独り、自分に向かって自慢をしています。一応、これは清朝に墨子が再発見されてから現代まで全文解釈については中国側でも日本側でも成功しなかったことですので、その全文完全解釈が成ったことに対し、独り、エッヘンと威張っています。
 今回、その独り、完全訳を成功した背景を説明しますと、墨子の『大取篇』に載る「以藏為其親也、而愛之、非愛其親也。」の「藏」、「以楽為利其子、而為其子欲之、愛其子也。」の「楽」を私は人名として解釈し、「藏」は「歸藏氏」の略称、「楽」は「樂王鮒」の略称と読解できると提案しました。これがキーポイントです。従来の解釈は「藏」は建物ですし、「楽」は音楽の方向で解釈します。それで文章解釈が非常に難解になっていたのです。このため、『経編上下』『経説編上下』、『大取編』と『小取編』のおよそ六編が難解であり、未詳が多々あると放置されてきたのです。
 独り自慢した、この私の人名であるとの提案について、ある専門家から日本で扱う文献からは「歸藏」は周易の一つの歸藏易を意味しても、人物の名前と解釈する指摘や解釈は今までにない。そのため、前例主義からすると「藏」を「歸藏」とし、人物名の「歸藏氏」と解釈することに無理がある。また、先の文章で藏を人名では無く、先行例のある周易の一つの歸藏易の略称とすると漢文が意味不明となる。また、墨子と周易との関係性についてもそのような指摘や研究は見いだせない。つまり、現時点で日本での墨子や周易に対する標準解釈からすれば、まったくに問題外の解釈ではないか。また、樂王鮒という人物名についても、日本で標準に扱う文献からは確認ができないのではないか。そのため「楽」を「樂王鮒」という人物名と解釈するのは無理があり、従来の儒学などで扱う楽=音楽・楽奏の意味合いで解釈するのが妥当ではないかとの指摘がありました。当然、このように従来の読解不能となっている条件設定以外は認めないのですから、墨子の文章が意味不明になるのも当然と言えば当然です。
 ただ、ある専門家からのこの指摘に対し、インターネット検索から大陸側の「歸藏」と云う言葉に対する解釈を収集し、以下の資料から、「歸藏」と云う言葉には黃帝の別称を意味する「歸藏氏」と周易の一つである「歸藏易」を示す場合とがあり、人名としての「歸藏氏」と解釈する可能性の存在を御理解いただきました。一刀両断で人名としての「歸藏氏」の解釈は無いとは出来ないのです。

≪周易正義 第三論三代易名≫
世譜等群書、神農一曰連山氏、亦曰列山氏。黃帝一曰歸藏氏。既連山歸藏並是代號、則周易稱周取岐陽地名。

≪初学記 巻二一≫
帝王世紀曰、庖犧氏作八卦、神農重之為六十四卦。黄帝・堯・舜引而伸之、分為二易。至夏人因炎帝曰連山、殷人因黄帝曰帰蔵。文王広六十四卦、著九六之爻、謂之周易。

 なお、『孟子』の「梁惠王下篇」に次のような一文があり、魯国王の平公の近習を務める「臧倉」なる人物は「臧氏之子」で、春秋時の魯国王の孝公の子である「彄」を始祖に持ち封地の臧邑を本拠とした一族の末です。

≪孟子 梁惠王下篇≫
魯平公將出、嬖人臧倉者請曰、他日君出、則必命有司所之。

 加えて、その「梁惠王下篇」には次の一文があり、孟子の弟子「樂正子(樂正克)」の名が載りますが、姓が楽団の指揮者に由来すると考えられる「樂正」で、名が「克」です。晋の貴族である姓「樂」ではありません。

≪孟子 梁惠王下篇≫
樂正子見孟子、曰、克告於君、君為來見也。嬖人有臧倉者沮君、君是以不果來也。曰、行或使之、止或尼之。行止、非人所能也。吾之不遇魯侯、天也。臧氏之子焉能使予不遇哉。

 次に「楽」については以下に紹介する『春秋左傳・昭公元年』や『国語・魯語下』から「樂王鮒」と云う人物を確認していただきました。日本でもインターネット検索で参照できる人物であり、そこでは『左傳』で「樂桓子相趙文子、欲求貨於叔孫、而為之請、使請帶焉弗與」、『国語』で「晉樂王鮒求貨于穆子」と記録するように「お金で動く人」と紹介されています。日本側でも大陸側でも現代の解釈からすると、古代中国にあってお金で動く人物の代表の扱いです。

≪春秋左傳・昭公元年≫
季武子伐莒、取鄆、莒人告於會、楚告於晉曰、尋盟未退、而魯伐莒、瀆齊盟、請戮其使、樂桓子相趙文子、欲求貨於叔孫、而為之請、使請帶焉弗與、梁其脛曰、貨以藩身、子何愛焉、叔孫曰、諸侯之會、衛社稷也、我以貨免、魯必受師、是禍之也、何衛之為、人之有牆、以蔽惡也、牆之隙壞、誰之咎也、衛而惡之、吾又甚焉、雖怨季孫、魯國何罪、叔出季處、有自來矣、吾又誰怨、然鮒也賄、弗與不已、召使者裂裳帛而與之、曰帶其褊矣、趙孟聞之曰、臨患不忘國、忠也、思難不越官、信也、圖國忘死、貞也、謀主三者、義也、有是四者、又可戮乎、乃請諸楚、曰、魯雖有罪、其執事不辟難、畏威而敬命矣、子若免之、以勸左右可也、若子之群吏、處不辟汚、出不逃難、其何患之有、患之所生、汚而不治、難而不守、所由來也、能是二者、又何患焉、不靖其能、其誰從之、魯叔孫豹可謂能矣、請免之以靖能者、子會而赦有罪、又賞其賢、諸侯其誰不欣焉、望楚而歸之、視遠如邇、疆場之邑、一彼一此、何常之有、王伯之令也、引其封疆、而樹之官、舉之表旗、而著之制令、過則有刑、猶不可壹、於是乎虞有三苗、夏有觀扈、商有先(女篇+先)邳、周有徐奄、自無令王諸侯逐進、狎主齊盟、其又可壹乎、恤大舍小、足以為盟主、又焉用之、封疆之削、何國蔑有。主齊盟者、誰能辯焉。吳濮有釁、楚之執事、豈其顧盟、莒之疆事、楚勿與知、諸侯無煩、不亦可乎、莒魯爭鄆、為日久矣、苟無大害於其社稷、可無亢也、去煩宥善、莫不競勸、子其圖之、固請諸楚、楚人許之、乃免叔孫、令尹享趙孟、賦大明之首章、趙孟賦小宛之二章、事畢、趙孟謂叔向曰、令尹自以為王矣、何如、對曰、王弱、令尹疆、其可哉、雖可不終、趙孟曰、何故、對曰、彊以克弱而安之、彊不義也、不義而彊、其斃必速、詩曰、赫赫宗周、褒姒滅之、彊不義也、令尹為王、必求諸侯、晉少懦矣、諸侯將往、若獲諸侯、其虐滋甚、民弗堪也、將何以終、夫以彊取、不義而克、必以為道、道以淫虐、弗可久已矣。

≪国語・魯語下≫
虢之會、諸侯之大夫尋盟未退。季武子伐莒取鄆、莒人告于會。楚人將以叔孫穆子為戮。晉樂王鮒求貨于穆子、曰、吾為子請于楚。穆子不予。梁其踁謂穆子曰、有貨、以衛身也。出貨而可以免、子何愛焉。穆子曰、非女所知也。承君命以會大事、而國有罪、我以貨私免、是我會吾私也。苟如是、則又可以出貨而成私欲乎。雖可以免、吾其若諸侯之事何。夫必將或循之、曰、諸侯之卿有然者故也。則我求安身而為諸侯法矣。君子是以患作。作而不衷、將或道之、是昭其不衷也。余非愛貨、惡不衷也。且罪非我之由、為戮何害。楚人乃赦之。

 前漢時代、藏と臧とは同字関係があり、臧は藏の通字と扱う場合があります。墨子で考察する「樂」が春秋時代の有力貴族「晉樂王鮒」を意味し、歴史的に有名人物としますと、文章構成上、「藏」は春秋時の魯国王の孝公の子である「彄」の子孫を意味する臧氏よりも、黃帝の別称を意味する「歸藏氏」を意味すると考えるのが相当と考えます。
 ここまでにおいて、ある専門家とのやり取りで「歸藏」の言葉が「歸藏易」だけでなく「歸藏氏」を示す可能性、「樂王鮒」(『左傳』では「樂桓子」・「鮒」、『国語』では「樂王鮒」)と云う人物の存在については確認が出来る。ただ、次の問題として「藏」一字で「歸藏氏」を示す事例、「樂」一字で「樂王鮒」を示す事例を文献から示すことが可能かとの指摘がありました。他事例がないならば、単なる思い付きに終わり、独自の解釈とはならないと忠告を受けました。
 私個人の独断ですが、「楽」と「樂王鮒」の関係について、『左傳』では『国語』で示す「樂王鮒」に対し「樂桓子」や「鮒」と表記する姿から、他の古典においては、その文章内容によっては「樂」一字で「樂王鮒」を示す可能性は残ると考えます。例えば、次の『墨子 大取篇』に載る文章の読解に於いて、「樂」は「樂王鮒」の略称、「子」は「叔孫穆子」の略称と解釈した時に史実を引用した文章と読み取れるかどうかです。
 墨子思想の原点である人の持つ功利主義を前提としますと、樂王鮒と叔孫穆子との間の懲罰刑死に対する嘆願周旋依頼とその代価の帶について、「お金で動く」と解釈するか「行為と報酬(利)」と解釈するかでは「行為と報酬」と解釈するべきでしょう。楽を音楽と解釈した時に、その解釈に功利主義が見えるかどうかです。

『墨子 大取篇』より抜粋
以楽為利其子、而為其子欲之、愛其子也。以楽為利其子、而為其子求之、非利其子也。
<A案>:弊ブログの提案
楽(樂王鮒)を以(し)て其の子(穆子)の利と為りて、而(すなは)ち之を欲す其の子(穆子)に為し、其の子(穆子)を愛す。楽(鮒)を以(し)て其の子(穆子)に利するを為すも、而(しかる)に之を求める其の子(穆子)の為(ため)に、其の子(穆子)を利するに非ずなり。

<B案>:従来の直読解釈案
楽(音楽)を以(し)て其の子の利と為りて、而(すなは)ち之を欲す其の子に為し、其の子を愛す。楽(音楽)を以(し)て其の子に利するを為すも、而(しかる)に之を求める其の子の為(ため)に、其の子を利するに非ずなり。

 次に「藏」一字で「歸藏氏」を示す事例を確認したいと思います。従来の説明とは違い、秦王朝以前の古典は前漢時代後期までに整えられており、『墨子』もまた例外ではありません。そこで前漢時代に調えられたとされる古典の中で、素人でも容易にアクセスが出来る文庫版中国古典を眺めてみますと、『荘子・駢拇篇』に次の文章を見つけました。なお、『漢書』で「藏、通用臧」と解説するように漢時代には同字関係があります。

『荘子・駢拇篇』より抜粋
臧與穀、二人相與牧羊、而倶亡其羊、問臧奚事、則挾筴讀書、問穀奚事、則博塞以遊、二人者、事業不同、其於亡羊均也。
臧と穀と、二人相い與に羊を牧ふも、而に倶に羊を亡う。臧に奚をか事とせると問えば、則ち筴を挟みて読書すと。穀に奚をか事とせると問えば、則ち博塞して以て遊ぶと。二人の者、事業は同じからざるも、其の羊を亡うに於いては均しきなり。

 この文章に載る「臧」と「穀」は「二人」と示すように人名です。ただ、文庫版『荘子第二冊 外篇』(金谷治 岩波文庫)の解説に示す「臧與穀は臧獲と同じで奴隷」ではありません。確かに古語では「臧」の言葉が持つ「匿」から派生した奴隷の意味がありますが、本来の意味は内に納めたもので、人の内に秘めたものから善の意味があります。前秦時代の戦国期に臧の言葉に奴隷の意味合いを取るのは時代的に早いと思います。
 その「臧」と「穀」の言葉が荘子時代にあって人々が知る人名を示すと仮定して、荘子が活躍した時代より前の時代の王侯貴族の中からインターネットを使い検索を行いますと、「穀」は西周時代の嬴姓穀氏を意味し穀国の王族で黄帝の子・少昊を始祖とする一族の人です。穀氏の中で歴史上の有名人には『春秋穀梁傳』の桓公七年(前705年)の記事に載る穀伯綏がいます。中国古典からしますと黄帝の末裔に繋がる嬴姓一族で金谷氏が解説するような女奴隷ではありません。

『春秋穀梁傳』 桓公七年
夏穀伯綏来朝、鄧侯吾離來朝。

≪大陸側での穀氏のネット解説≫
穀国、伯国、出自嬴姓、与趙・秦同一箇源流、都是黄帝的后裔、至舜的時候、被賜姓為嬴。桓公七年(前705年)、穀伯綏和鄧侯吾离一同朝見魯桓公。紀元前八世紀末被楚所滅。春秋時穀國的後代開始以穀為氏。

 この「臧與穀」の「穀」が黄帝の末裔の嬴姓穀氏の人物を意味すると考えますと、文章構成のバランスから推測して「臧」もまた荘子時代の人々が知る人名となると考えられます。『荘子・駢拇篇』に載る「穀」の人物像は博打の語源となる博塞と云う賭博ゲームで財産である羊を失うことから当時の資産階級となる王侯貴族を示唆し、また「臧」の人物像は筴讀と云う占いを行う人物を示唆します。先に見たように「穀」は西周時代に存在した穀国の王族を意味しますから、博塞と云う賭博ゲームで羊を失う姿は有り得るものです。
 すると、周代にあって筴讀を行う「臧」なる人物は歸藏易を掌る歸藏氏を示唆すると考えるのが穏当ではないでしょう。『周易正義』では「黃帝一曰歸藏氏」とあり、一方、穀氏を「出自嬴姓、与趙・秦同一箇源流、都是黄帝的后裔」とします。つまり、「臧」が歸藏氏の略称であり、「穀」が穀氏を示唆するのであれば、「臧」と「穀」は黄帝を始祖とする同祖関係となり、そこからの「臧」と「穀」との対比と考えます。
 私個人の独断で、現代でのインターネット検索の容易性から先に「穀」が穀氏を示唆すると考えました。ただ、前秦時代戦国中期にあって人々が筴讀の言葉から容易に「臧」を歸藏氏と認識できたとすると、荘子は対比において黄帝を始祖とする穀氏を選び「穀」として載せた可能性があります。『荘子・駢拇篇』では「自虞氏招仁義以撓天下也、天下莫不奔命於仁義。是非以仁義易其性與。故嘗試論之、自三代以下者、天下莫不以物易其性矣。小人則以身殉利、士則以身殉名、大夫則以身殉家、聖人則以身殉天下。故此數子者、事業不同。名聲異號、其於傷性以身為殉、一也。」と述べ、有虞氏舜帝は確かに仁義を天下に広め、正義とは何かと人の心にさざ波を立てて「聖人則以身殉天下」であったかもしれませんが、聖人三代以降では人々はもっぱら「物(物欲・名誉欲)」に心を奪われたとします。
 荘子は例として、天下の為に黄帝たる歸藏氏は筴讀して天の声を聴き人々にそれを伝えますが、その黄帝の子孫の穀氏になると博塞と云う賭博ゲームに夢中だったとします。人為・仁義を嫌う荘子は、歸藏氏は筴讀に夢中で財産たる羊を逃してしまい、穀氏は博打で財産たる羊を失った。行いとして藏が是、穀が非であったとしても、共に財産である羊を失ったことは同じではないかと説きます。このように文脈からすれば藏は黄帝歸藏、穀は穀国穀伯と理解すべきです。
 以上、説明したように『荘子・駢拇篇』の「臧與穀、二人相與牧羊、而倶亡其羊」の一文の言葉「臧」は「歸藏氏」の略称であると推定できる可能性と用法を示せたと考えます。するとここから以下に示す『墨子・大取篇』の各文は、次の様に読解することは可能と考えます。なお、前漢以降では「臧」は「藏」の通字となることもあり、同字関係となります。また、『康煕字典』の解説から「獲」は『廣韻』を引用し宋大夫尹獲氏、「慮」は『左傳』を引用し南蒯臣慮癸氏を示します。NOTEで示した『墨子・大取篇』の読解では、「臧」は黄帝歸藏、「楽」は樂王鮒、「獲」は宋大夫尹獲、「慮」は南蒯臣慮癸と、略称して載せたと判断しています。

『墨子 大取篇』より抜粋
<例文:1>「藏」
以藏為其親也、而愛之、非愛其親也。以藏為其親也、而利之、非利其親也。
藏(歸藏)を以(し)て其の親と為(な)りて、而(ま)た之を愛すも、其の親を愛するに非ず。藏(歸藏)を以て其の親と為りて、而(すなは)ち之を利すも、其の親を利するに非ず。

<例文:2>「藏」
愛獲之愛人也、生於慮獲之利、非慮藏之利也。而愛藏之愛人也、乃愛獲之愛人也。
獲(宋大夫尹獲)の人を愛する愛は、慮(南蒯臣慮癸)のが獲(宋大夫尹獲)の利に生まれるも、慮(南蒯臣慮癸)のは藏(歸藏)の利に非ず。而(すなは)ち藏(歸藏)の人を愛する愛は、乃ち獲(宋大夫尹獲)の人を愛する愛なり。

<例文:3>「藏」
籍蔵也死而天下害、吾持養藏也萬倍、吾愛藏也不加厚。
藉(も)し蔵(歸藏)を死(うしな)ひて而(しかる)に天下に害あらば、吾が藏(歸藏)を持養するは萬倍し、吾が藏(歸藏)を愛するは厚きを加へず。

『荘子・駢拇篇』より抜粋
<例文:1>「虞」
夫小惑易方、大惑易性、何以知其然邪。自虞氏招仁義以撓天下也、天下莫不奔命於仁義。是非以仁義易其性與。故嘗試論之、自三代以下者、天下莫不以物易其性矣。小人則以身殉利、士則以身殉名、大夫則以身殉家、聖人則以身殉天下。故此數子者、事業不同。名聲異號、其於傷性以身為殉、一也。
夫れ小惑は方を易へ、大惑は性を易ふ。何を以て其の然るを知るや。虞氏、仁義を招げて以て天下を撓せし自り、天下、仁義に奔命せざるは莫し。是は仁義を以て其の性を易へしに非ずや。故に嘗へて試みに之を論ぜん。三代自り以下は、天下、物を以て其の性を易へざるは莫し。小人は則ち身を以て利に殉じ、士は則ち身を以て名に殉じ、大夫は則ち身を以て家に殉じ、聖人は則ち身を以て天下に殉ず。故に此の數子は、事業は同じからず。名聲は號を異にするも、其の性を傷ひ身を以て殉と爲すに於けるは、一なり。

<例文:2>「臧」
臧與穀、二人相與牧羊、而倶亡其羊、問臧奚事、則挾筴讀書、問穀奚事、則博塞以遊、二人者、事業不同、其於亡羊均也。
臧と穀と、二人相い與に羊を牧ふも、而に倶に羊を亡う。臧に奚をか事とせると問えば、則ち筴を挟みて読書す。穀に奚をか事とせると問えば、則ち博塞して以て遊ぶ。二人の者、事業は同じからざるも、其の羊を亡うに於いては均しきなり。

<例文:3>
伯夷死名於首陽之下、盗跖之利於東陵之上、二人者、所死不同、其於殘生傷性均也、奚必伯夷之是、而盗跖之非乎。
伯夷は名を首陽の下に死なひ、盗跖の利は東陵の上に死ぶ。二人の者、死なふ所は同じからざるも、其の生を残なひ性を傷るに於いては均しきなり。奚んぞ必ずしも伯夷の之を是とし、盗跖の之を非とせむや。

<例文:4>
天下盡殉也、彼其所殉仁義也、則俗謂之君子、其所殉貨財也、則俗謂之小人、其殉一也、則有君子焉、有小人焉、若其殘生損性、則盗跖亦伯夷已、又惡取君子小人於其間哉。
天下は盡く殉ずるなり。彼の其の殉ずる所、仁義なれば、則ち俗はこれを君子と謂い、その殉ずる所、貨財なれば、則ち俗はこれを小人と謂う。その殉ずるは一なり、則ち君子あり、小人あり、若し其の生を残なひ性を損ふならば、則ち盗跖も亦た伯夷と已む。又た惡くんぞ其の間に君子と小人を取らんや。


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