万葉集 カッコウの歌を考える
万葉集の歌の中から霍公鳥(ホトトギス)の歌を鑑賞します。なお、霍公鳥(ホトトギス)の鳴き声の聞こえ方は、和歌作歌では基本的な約束となっていますので、そこに注目して頂けると古典の和歌の鑑賞の折の楽しみに幅が広がるのではないでしょうか。
このホトトギスは万葉集の歌では、万葉仮名では「保登等藝須」、漢字では「霍公鳥」、「霍鳥」や「容鳥」と記します。さて、万葉集の歌でこの霍公鳥が詠われていると、その霍公鳥が物事の象徴に扱われている可能性があります。そのため、霍公鳥の言葉に対しては、注意して歌を鑑賞する必要があるようです。
例えば額田王が詠う集歌112の歌(例歌 その一)には、死して霍公鳥となり過去の栄華を乞うて「不如帰、不如帰」と鳴いた中国の蜀王伝説があります。こうした時、この蜀王伝説を前提にしないと鑑賞に苦労するのが、弓削皇子が詠う集歌1467の歌(例歌 その二)です。およそ、天武天皇から持統天皇の時代では、霍公鳥は漢籍からの「過去を乞う」と云う言葉の象徴だったようです。
ところが、山部赤人が詠う集歌372の歌(例歌 その三)では、霍公鳥の別名である容鳥(貌鳥)は、その鳴き声の「カツコホ」を「カホコホ」と聞いて「カホコホトリ」から容鳥(貌鳥)と表記したようです。同時に、この「カホコウ」と同じように「カツコホ」を「カツコヒ」とも聞いたようで、「カツコヒ(片恋)」を象徴する鳥としています。巻十に載る集歌1898の歌(例歌 その四)は容鳥(貌鳥)を詠う歌ですが、その鳴き声を「カツコヒ(片恋)」と聞くことによって、より一層、鑑賞が深まると思います。当然、素人のする「感覚」の鑑賞ですから、根拠も理論もありません。そこは、微苦笑の下にご寛容ください。
なお、霍公鳥の歌を鑑賞するにおいて、例によって、紹介する歌は西本願寺本の表記に従っています。そのため、原文表記や訓読みに普段の「訓読み万葉集」と相違するものもありますが、それは採用する原文表記の違いと素人の無知に由来します。
また、勉学に勤しむ学生の御方にお願いですが、ここでは原文、訓読み、それに現代語訳や解説があり、それなりの体裁はしていますが、正統な学問からすると紹介するものは全くの「与太話」であることを、ご了解ください。つまり、コピペには全く向きません。あくまでも、大人の楽しみでの与太話であって、学問ではないことを承知願います。
例歌 その一
額田王和謌一首 従倭京進入
標訓 額田王の和へ奉れる歌一首 倭の京より奉り入る
集歌112
原文 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾念流碁騰
訓読 古に恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし吾が念へるごと
私訳 昔を恋しがる鳥は霍公鳥です。さぞかし鳴いたでしょう。私が想っているように。
例歌 その二
弓削皇子御謌一首
標訓 弓削皇子の御謌一首
集歌1467
原文 霍公鳥 無流國尓毛 去而師香 其鳴音手 間者辛苦母
訓読 霍公鳥なかる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも
私訳 不如帰去(帰り去くに如かず)と過去を慕い啼くホトトギスが居ない国にでも行きたいものだ。その啼く声を聞くと物思いが募る。
例歌 その三
山部宿祢赤人登春日野作謌一首并短謌
標訓 山部宿祢赤人の春日野に登りて作れる謌一首并せて短謌
集歌372
原文 春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷
訓読 春日を 春日の山の 高座の 御笠の山に 朝さらず 雲居たなびき 貌鳥の 間無くしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちて居て 念ひそ吾がする 逢はぬ児故に
私訳 春の日に春日の山にある高御座(たかみくら)に御笠をかざすように三笠の山に、朝には必ず雲が棚引き、たくさんの郭公(カッコウ)が絶え間なく啼く。山に着いて棚引く雲のように、気持ちはいさよい、その「カツコヒ」と啼く鳥のように片恋に、昼は一日中、夜は一晩中、立っていても座っていても、物思いをする、私は。逢うことの出来ないあの子のために。(或いは、見ることが出来ない郭公のために。)
反謌
集歌373
原文 高按之 三笠乃山尓 鳴之 止者継流 哭為鴨
訓読 高按の三笠の山に鳴りの止めば継がるる哭き為つるかも
私訳 高御座(たかみくら)の備わる三笠の山に「カツコヒ」と啼く鳥のさえずりが止むと、それを継ぐように祈っても「カツコヒ」が止み、逢えないことで恨んで泣けてしまうでしょう。
例歌 その四
集歌1898
原文 容鳥之 間無數鳴 春野之 草根乃繁 戀毛為鴨
訓読 貌鳥の間無く數鳴く春の野の草根の繁き恋もするかも
私訳 「カツコヒ(片恋)、カツコヒ(片恋)」と貌鳥が絶え間なく数多く鳴く、その春の野の草の根が繁茂するように、恋心の募る恋をしている。
例歌に示しましたように、このように素人案を展開しますと、次のような普段と違った鑑賞が出来ます。一種の可能性として、このような方法もあると思っていただければ幸いです。
式部大輔石上堅魚朝臣歌一首
標訓 式部大輔石上堅魚朝臣の歌一首
集歌1472
原文 霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎
訓読 霍公鳥来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを
私訳 霍公鳥がやって来て「不如帰、不如帰」とその鳴き声を響かせる。真っ白な卯の花の咲くのと共に意を感じてやって来たのかと聞きたいことです。
左注 右、神龜五年戊辰大宰帥大伴卿之妻大伴郎女、遇病長逝焉。于時勅使式部大輔石上朝臣堅魚遣大宰府、弔喪并賜物也。其事既畢驛使及府諸卿大夫等、共登記夷城而望遊之日、乃作此歌。
注訓 右は、神亀五年戊辰に大宰帥大伴卿の妻大伴郎女、病に遇ひて長逝す。時に勅使式部大輔石上朝臣堅魚を大宰府に遣して、喪を弔ひ并せて物を賜へり。その事既に畢りて駅使と府の諸の卿大夫等と、共に記夷の城に登りて望遊せし日に、乃ち此の歌を作れり。
大宰帥大伴卿和謌一首
標訓 大宰帥大伴卿の和へたる歌一首
集歌1473
原文 橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多寸
訓読 橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
私訳 橘の花が散ってしまった里で「不如帰、不如帰」と鳴く霍公鳥よ、(妻も橘の花も)散ってしまったことを懐かしんで鳴く(哭く)日が多いことです。
大伴坂上郎女思筑紫大城山謌一首
標訓 大伴坂上郎女の筑紫の大城の山を思ひたる謌一首
集歌1474
原文 今毛可聞 大城乃山尓 霍公鳥 鳴令響良武 吾無礼杼毛
訓読 今もかも大城の山に霍公鳥鳴き響むらむ吾なけれども
私訳 今も聞けるでしょうか、大城の山で「不如帰、不如帰」とホトトギスがその啼き鳴き声を響かせているでしょう。私が聞いていなくても。
次の歌の歌番号は連続してはいますが、既に別の場面の歌です。そのため、同じ霍公鳥ですが、鳴き声の聞こえ方が違います。
大伴坂上郎女霍公鳥謌一首
標訓 大伴坂上郎女の霍公鳥の謌一首
集歌1475
原文 何奇毛 幾許戀流 霍公鳥 鳴音聞者 戀許曽益礼
訓読 何奇しもここだく恋ふる霍公鳥鳴く声聞けば恋こそまされ
私訳 どのような理由でこのようにひたすら恋慕うのでしょう。「カツコヒ(片恋)、カツコヒ」と鳴くホトトギスの啼く声を聞けば、慕う思いがさらに募ってくる。
小治田朝臣廣耳謌一首
標訓 小治田朝臣廣耳の謌一首
集歌1476
原文 獨居而 物念夕尓 霍公鳥 従此間鳴渡 心四有良思
訓読 ひとり居て物思ふ夕に霍公鳥こゆ鳴き渡る心しあるらし
私訳 独り部屋に座って居て物思いをする夕べに、ホトトギスがここを通って。「カツコヒ(片恋)」と啼き飛び渡る。私の気持ちをわかってくれる心があるようだ。
大伴家持霍公鳥謌一首
標訓 大伴家持の霍公鳥の謌一首
集歌1477
原文 宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 来鳴令響
訓読 卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥佐保の山辺に来鳴き響もす
私訳 里に咲く卯の花(有の花=恋の成就)も未だに咲かないので、ホトトギスは佐保の山裾に飛び来て「カツコヒ(片恋)」とその声を啼き響かせる。
大伴坂上郎女謌一首
標訓 大伴坂上郎女の謌一首
集歌1484
原文 霍公鳥 痛莫鳴 獨居而 寐乃不所宿 聞者苦毛
訓読 霍公鳥いたくな鳴きそひとり居て寝の寝らえぬに聞けば苦しも
私訳 ホトトギスよ。そんなに「カツコヒ(片恋)、カツコヒ」とひどく啼くな。あの人を待ちわびて一人だけで夜も寝られないときに、お前の声を聞くと辛くなる。
大伴坂上郎女謌一首
標訓 大伴坂上郎女の謌一首
集歌1498
原文 無暇 不来之君尓 霍公鳥 吾如此戀常 徃而告社
訓読 暇なみ来ませぬ君に霍公鳥吾かく恋ふと行きて告げこそ
私訳 物事が多く暇がないからと御出でにならないあの御方に、「カツコヒ(片恋)」と鳴くホトトギスよ、「私はこのように慕っている」と飛び行きて知らせなさい。
大神女郎贈大伴家持謌一首
標訓 大神女郎の大伴家持に贈りたる謌一首
集歌1505
原文 霍公鳥 鳴之登時 君之家尓 徃跡追者 将至鴨
訓読 霍公鳥鳴きしすなはち君が家に往けと追ひしは至りけむかも
私訳 「カツコヒ(片恋)」とホトトギスが啼いたので、さっそく、貴方の家に行きなさいと追い遣りました、そのホトトギスは貴方の家に着いたでしょうか。
大伴田村大嬢与妹坂上大嬢謌一首
標訓 大伴田村大嬢の妹坂上大嬢に与したる謌一首
集歌1506
原文 古郷之 奈良思乃岳能 霍公鳥 言告遣之 何如告寸八
訓読 古郷の奈良思の岳の霍公鳥言告げ遣りしいかに告げきや
私訳 故郷にある奈良思の岳に棲む「カツコヒ(片恋)」と鳴くホトトギスに愛の誓いを告げて貴方の許に遣りましたが、どのように告げたでしょうか。
万葉集に載る鳥の歌では「霍公鳥」が第一位だそうです。もし、ホトトギスが片思いの恋の象徴ですと、万葉集の鳥の歌の中で数多く詠われるの自然ではないでしょうか。また、万葉集の歌が詠われた時代に合わせて「霍公鳥」が示すシンボルとして意味合いを想像して歌を鑑賞するのも、一つの鑑賞法ではないでしょうか。
参考に、万葉人は次の高橋蟲麻呂の詠う集歌1755の「詠霍公鳥一首」から、カッコウ鳥の托卵の習性を十分に知っていることから、現在、区別するようにホトトギスとカッコウとは別な鳥との区別はついていたと思われます。さらに、漢字で「霍公」や「容鳥」と表すと「カツコホ」の音のイメージがあり、カッコウ鳥を示したような感覚を持ちますが、集歌3909の歌の標に示すように万葉集ではこれらの漢字表記を「ホトトギス」と訓むようです。ただ、現在のホトトギスが万葉時代でのホトトギスと同じ鳥かは、自信がありません。
推定で、万葉時代の人々はホトトギスとカッコウとは別々の鳥であることは知っていますが、中国の文学を尊重してそこでの中国語の霍公鳥は蜀王の「不如帰、不如帰」の伝説を満たす鳴き方が要求されます。それで、万葉集の初期では両方の中国説話を尊重し、平安時代になって行くとカッコウの鳴き声だけをホトトギス:保登々幾須と扱うようになったのでしょう。
参考歌 その一
詠霍公鳥一首并短哥
標訓 霍公鳥を詠める一首并せて短哥
集歌1755
原文 鴬之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊従 飛翻 来鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者将為 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥
訓読 鴬の 生卵の中に 霍公鳥 独り生まれて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし 終日に 鳴けど聞きよし 幣はせむ 遠くな行きそ 吾が屋戸の 花橘に 住み渡れ鳥
私訳 鶯の産む卵の中に霍公鳥は独り生まれて、お前の父鳥に似た声では鳴かず、お前の母鳥に似た声では鳴かず、卯の花の咲いている野辺を飛び翔けて、やって来て鳴き声を響かし、橘の花を枝に留まって散らし、一日中、鳴いているがその鳴き声は聞き好い。贈り物をしよう。遠くには行くな。私の家の花咲く橘に住み渡って来い。霍公鳥よ。
反謌
集歌1756
原文 掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 可怜其鳥 (可は忄+可)
訓読 かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて去くなりあはれその鳥
私訳 林に霧が立ち流れ雨の降る夜を霍公鳥は鳴きながら去っていく、風情のある、その霍公鳥よ。
参考歌 その二
霍公鳥をホトトギスと訓んだ一例
詠霍公鳥謌二首
標訓 霍公鳥を詠める歌二首
集歌3909
原文 多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟
訓読 橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
私訳 橘はいつまでも咲き続ける花であって欲しい。ホトトギスが棲もうとやって来て鳴くのなら、いつも聞けて、その声を聞かない日はないでしょう。
集歌3910
原文 珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞
訓読 玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも
私訳 薬玉として紐を貫く楝の木を家に植えたならば、楝の花を乞うて山ホトトギスが絶えることなく飛び来るでしょう。
左注 右、四月二日、大伴宿祢書持、従奈良宅贈兄家持
注訓 右は、四月二日に大伴宿祢書持、奈良の宅より兄家持に贈れり。
補足参考として、平安時代の三代集からホトトギスの鳴き声の聞こえ方について歌を紹介します。古今和歌集は続万葉集の異名を持つ歌集ですし、拾遺和歌集には万葉集の勉強会で詠われた歌を載せるほどに万葉集は当時の歌人たちには基礎的な教養です。その分、ホトトギスの鳴き声の聞こえ方には共通したお約束が感じられます。
古今和歌集 歌番号499
和歌 あしひきの山郭公我がごとや君に恋ひつつ寝ねがてにする
解釈 葦や檜の生える山に棲むホトトギスよ、私と同じように「片恋、片恋」と鳴きながらあの人をしきりに恋慕って寝られずにいるのか。
後撰和歌集 歌番号950
和歌 今ははや深山を出でて郭公け近き声を我に聞かせよ
解釈 今はもう深山、その言葉の響きのような、宮を出て、遇うに相応しい季節になったのだから、「カホコホトリ」と鳴き貌を見せる鳥の異名を持つ「ホトトギス(大輔のこと)よ、身近に啼く声を私に聞かせて下さい。
拾遺和歌集 歌番号820
和歌 こぬ人をまつちの山の郭公おなし心にねこそなかるれ
解釈 来ぬ人を待つ、その言葉のような、待乳山のホトトギス、その「片恋、片恋」と鳴く、同じ心に声を立てて泣いてしまいます。
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