墨子を読む 節用

墨子  節用 現代語訳
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠
墨子の思想への理解を進めるために、伝存する節用上篇・中篇の現代語訳だけを紹介します。
注意:
1.「徳」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは韓非子が示す「慶賞之謂德(慶賞、これを徳と謂う)」の定義の方です。つまり、「徳」は「上からの褒賞」であり、「公平な分配」のような意味をもつ言葉です。
2.「利」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。ここでは『易経』で示す「利者、義之和也」(利とは、義、この和なり)の定義のほうです。つまり、「利」は人それぞれが持つ正義の理解の統合調和であり、特定の個人ではなく、人々に満足があり、不満が無い状態です。
3.「仁」の解釈が唐代以降と前秦時代では大きく違います。『礼記禮運』に示す「仁者、義之本也」(仁とは、義、この本なり)の定義の方です。つまり、世の中を良くするために努力して行う行為を意味します。

《節用上》:現代語訳
聖人が政治を一国に行えば、一国の利を倍にすることは可能だ。これを大いにして政治を天下に行えば、天下の利も倍にすることは可能だ。その利を倍にすることとは外に領土を取ることではない。その国家の内政により、その国家の無用な費用を取り除けば、これにより利を倍にすることに足りる。
聖王は政治を行うに、その国に政令を発して、事業を興し、民を使い、財を用いる。民や財を用いるのに効用を考慮せずに事業を行う者はおらず、そのために財を用いて無駄にすることはなく、民への利益の分配を心配することなく、その利のある事業を興すことが多い。その衣服を作るのは何のためか。それにより冬は寒さを防ぎ、夏は暑さを防ぐことを行う。およそ、衣装を作る道理は、冬は暖かさを加え、夏は涼しさを加えるものであり、質素実用でなければ衣装として使わない。その建物を作るのは何のためか。それを作るのは冬の強風と寒さを防ぎ、夏の暑さと雨を防ぎ、盗賊が襲っても警備の固さを加えるものであり、質素実用でなければ建物として使わない。その武器五種類を作るのは何のためか。それを作るのは戦乱や盗賊を防ぎ、もし、戦乱や盗賊があれば、武器五種類を保有するものは勝ち、もっていない者は勝てない。このために聖人は兵器五種類を作ったのだ。およそ、兵器五種類を作るのに、軽くて鋭利であり、堅牢にして折れ難くし、質素実用でなければ兵器として使わない。その舟や車を作るのは何のためか。それを作って車は丘や平野を行き、舟は川や谷を行き、四方の交通の利便を通じさせる。およそ、舟や車を作る道理は、軽くして利便性を加え、質素実用でなければ使用しない。およそ、このような物を作るときに、効用を加えずに作る者はいない。このようなことで、財を用いても無駄にせず、民への利の分配を心配することなく、その利のある事業を興すことが多い。
良くあることで、大人が好んで集める珠玉、鳥獣、犬馬を集めず、その代わりに実用の衣裳、実用の建物、実用の甲冑、実用の兵器、実用の舟や車の数を増やせば、(同じ財で)数では倍に出来るだろう。このようなことは難事ではなく、そのために、なにをかを倍にすることが難しいだろうか。ただ、人口は倍にするのは難しい。然しながら、人口を倍にする方法はある。昔、聖王は法を作って言うことには、健康な男は年二十歳で実家に居てはいけない。女子は年十五歳で、結婚しないのはいけない。これは聖王の法なのだ。聖王はすでに没し、ここに民衆は勝手気ままとなり、健康の男子で早く一家を持ちたいと希望する者は、時に二十歳で一家を持ち、遅く一家を持ちたいと希望する者は、時に四十歳で一家を持つ。これにより、その早く一家を持つ者と遅く一家を持つ者とを計算からともに除くと、(一家を持つ者の平均の歳は)聖王の法に遅れること十年である。もし、皆が(一家を持ち)三年の間に許嫁を持てば、子が生まれるのはそれから二三年であろう。聖王の法は民衆に早く一家を持たせるためだけでなく、それにより人口を倍にすることが出来るのだ。そして、これしか方法がないのだ。
今、天下の政治を行う者は、その国の人口を少なくするものの原因は多く、その民を使役することで疲弊させ、その国の徴税は厚く、民の財は足らず、凍え飢え死にする者の数は数えきれない。さらに大人はただ戦争を興し、隣国を攻伐し、戦役の長いものでは一年、速やかに終戦しても数か月だ。男女は久しく逢えないことになり、これは人口を少なくする原因だ。また戦争の動員で生活は安定せず、日々の食事の回数も一定せず、病気を発症して死ぬ者と、塹壕や隧道を使った攻城火攻めへの従軍、攻城や野戦に従軍して死ぬ者の数は数えきれない。このような政治を行う者からすれば、人口を少なくする原因はこのような数々のことにより起きるのではないだろうか。それで、子墨子の言われたことには、『無用の費用を省くのは、聖王の道であり、天下の大利なのだ』と。

《節用中》:現代語訳
子墨子が語って言われたことには、『古代の明王や聖人が天下に王となり、諸侯を統治したその根源は、統治する民を愛しみ、欺くことを控え、民を利し、重税を控え、忠(あざむかず)と信(うたがわず)の気持ちを共に保ち、また、民に忠と信の気持ちを示すことを利によって行い、これをおこなうことは終身に渡り飽きることなく、死に際しても統治の行いに飽きなかった。』と。古代の明王や聖人が天下に王となり、諸侯を統治したその根源は、このような事である。
このような訳で古代の聖王は、節用の法を定め行い、そして言うことには、『およそ、天下の諸々の多くの工人、車職人、皮職人、陶工、冶金工、家具職人、大工など、おのおのがその得意とするその職に従事させよう。』と。また、言うことには、『およそ、民が使う用途にその供給が足りれば、それで十分だ。』と。諸々の機能や飾りを加えても、それが民の利を増やさないのなら、聖王は行わなかった。
古代の聖王は飲食の法を定め行い、そして言うことには、『飲食により空腹を満たし気力を蓄え、手足を強くし、耳目が聡明であるなら、それで十分だ。五つの味わい、良き香りの調和、遠国の珍しく怪しく異なった物を調達しない。』と。どのような理由でそのようなことを知ったのか。古代の堯王は天下を治め、南は交阯を慰撫し、北は幽都を降し、東西は日の出入する所に至るまで、朝貢しない者はなく、その厚き愛しみは隅々までに及んだ。(その堯王は)黍と稷とを特別に区別せず、肉料理は皿を重ねず、土の器に飯を盛り、土の器で汁をすすり、柄杓で酒を壷から酌んだ。神祀りの直会、外交の晩餐、儀式での饗宴、これらを聖王は行わなかったのだ。
古代の聖王は衣服の法を定め行い、そして言うことには、『冬は紺染の紺緅の衣を着て、軽くて暖かく、夏は葛の絺綌の衣を着て、軽くて涼しければ、それで十分だ。』と。諸々の機能や飾りを加えても、それが民の利を増やさないのなら、聖王は行わなかった。
古代の聖人は猛禽や噛みつく獣が人を襲い、民を害することのために、それに対して民に武器を使って暮らすことを教え、言うことには、『剣を帯び、剣で刺せば獣の体に突き入り、剣で振り撃てば獣の体を断ち、剣で横に払っても剣は折れない、これは剣の利点である。』と。甲冑を衣とするならば軽いことが利点で、甲冑を着て動いても武器は使用できる、これは甲冑の利点なのだ。
車は重い荷を運んで遠くに行け、車に乗れば移動は容易で、車を引けば運搬に便利だ。移動を容易にして人を疲れさせず、車の利により運搬は速やかで、これが車の利なのだ。古代の聖王は、大きな川や広い谷は渡ることが出来なかったので、舟や楫を作って民の利とし、渡ることが出来ればそれで十分だとした。上の者は三公諸侯に至ると言っても、舟や楫を特別な物には変えず、湊の人も舟や楫を飾り立てなかった。川を渡ることが舟の利なのだ。
古代の聖王は節葬の法を定め行い、そして言うことには、『衣は三枚重ね、それで肉体が腐り朽ちるのに十分で、棺の板の厚さは三寸、それで骨が朽ちるのに十分で、墓穴の深さは地下水に届かず、臭気の流れが漏れ出ないのなら、それで十分だ。死者は既に葬ったのならば、生きているものは長い期間、喪に服し、哀悼を示すことはしてはいけない。』と。
古代、人が始めて生まれ、まだ建物が無かった時代、小高い山や丘に穴を掘ってそこに住んだ。聖王はこの状況を考慮して、穴を掘って暮らすことに対して言うことには、『冬には穴居は風や寒さを避けることが出来るが、夏になると、穴居の下は湿り気を持ち、穴居の上は湿気で蒸す、おそらく民の気分を痛めるだろう。』と。それで建物を建設して、民の利とした。そうすると、その建物を作るこの方法とはいったいどうだったのか。子墨子の語って言われたことには、『その家の壁はそれにより風や寒さを防ぎ、屋根はそれにより雪霜雨露を防ぎ、その室内は清潔であれば、その家で祭祀の儀礼は行える。部屋の仕切りは男女を区分けが出来れば十分で、それで家としては十分だ。』と。諸々の機能や飾りを加えても、それが民の利を増やさないのなら、聖王は行わなかった。

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