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No.3「カッコいい大人」

「カッコいい大人」ってなんだろう。
多くの人がこの人って「カッコいい大人」だなと感じたことや、「カッコいい大人」になりたいと思ったことがあると思う。僕だって何度も思ったことはある。ただ実際に、「カッコいい大人」をブレイクダウンしたことはなかった。この機に、一度自分の目指す理想の「カッコいい大人」を探究していこうと思う。

まず「カッコいい大人」というのは、「カッコいい」と「大人」の二つの言葉から構成されている。多くの人は二つを纏めた「カッコいい大人」での意味を考えがちだが、僕は二つの言葉それぞれに大切な意味があって、その二つの意味が掛け合わさるからこそ「カッコいい大人」にはより深い意味が生まれていると考えている。

一つ一つの言葉の意味をそれぞれ探究していこう。
「カッコいい」。僕は「カッコいい」に秘められた真の意味は「優しさ」であると考えている。皆さんは「カッコいい」とは何ですか?と質問されたら、イケメン・高身長といった外見のことや運動神経がいい、頭が良い、そういった類の言葉が一番に頭に浮かぶのではないだろうか。僕自身もカッコいい人物として木村拓哉さんや大谷翔平さんが一番に思いついてしまうことは事実である。ただ一方で、木村拓哉さんの「カッコいい」へ憧れはあっても、それが真に目指したいと思うような「カッコいい」なのだろうか。勿論、生まれ変われるなら生まれ変わりたいが、目指したいような「カッコいい」とは何か性質が異なるものだと感じるのではないか。僕は違うなぁと感じる。僕は自分の父親のことを「カッコいい」と思う。僕の父親は多少、頭は良いかもしれないが、イケメンではないし、これといってスポーツができるわけでもない。それでも僕は父親を「カッコいい」と思うのだ。それは何故か。それは、僕が生まれてから25年間、僕を守り、ここまで育ててくれた過程の中に、優しさが溢れていたからに違いない。小学校時代には車で塾の送り迎えをしてくれて、高校時代には弓道でインターハイに出れば北九州まで応援に来てくれて、お寿司を食べたいといえばお寿司屋に連れていってくれて、木村拓哉さんみたいな「カッコいい」はないかもしれない、それでもこの日常に当たり前のようにあった優しさの数々が、僕が父親を「カッコいい」と思える要因であることは間違いない。自分の目指したい真の「カッコいい」は、自分が父親にしてもらってきたような、人に対して優しい行動を積み重ねることなのだと思う。
皆さんも胸に手を当てて考えてみてほしい。
あなたの目指したい「カッコいい」は、本当はどんな「カッコいい」ですか。

「大人」。「大人」に真に込められた意味は「力を有すること」であると考えている。「大人」と対比される言葉は「子ども」である。果たしてこの二つの言葉にはどのような違いがあるのだろうか。皆さんが一番イメージする違いは、間違いなく年齢だろう。20歳以上が「大人」、20歳未満は「子ども」といったイメージである。ただ僕は、これは違いの一面に過ぎず、本質的な違いは「人を護ることができるか否か」であると考えている。「大人」は人が困っていたら護らなければならない、「子ども」はまだ「大人」に護ってもらってもよいのだ。人を護るためには、護れるだけの力が必要である。力には様々なものがある。経済力や思考力、発想力、身体的強さ、威厳、包容力、挙げたらキリがない。そういった数々の力を人が手にするために必要なことは、経験なのだ。勉強することも経験、働くことも経験、筋トレすることも経験、時間を経過させることでさえ一種の経験である。人は経験を積まなければ、力を手にすることは決してない。そういった意味では、年齢という観点が「大人」と「子ども」の線引き基準として不適切なわけではない。しかしながら、何の努力もせずに時間を過ごすという経験だけをしてきた人に、人を護ることができるのだろうか。年齢が離れていたとしても、日々懸命に努力してきた若者の方が何倍にも濃い経験をして、人を護ることができるだけの力を得ていると僕は思う。だから、例え60歳だろうが80歳だろうが、努力をせず濃い経験を積んでこなかった人は、いつまでも「子ども」だと思う。かたや年齢が15歳や20歳でも、日々を懸命に生きてきた人は「大人」の一面を持つことができる。日々を懸命に生き、多岐に亘る濃い経験を積んでいくことが「大人」になるためには、非常に重要なことなのだ。

これもまた皆さんに考えてみてほしい。
人に頼られ、自信を持って応えることができなかったとき、
あなたは、本当に自分が「大人」であると胸を張れますか。

「カッコいい」と「大人」の掛け算はつまり
「優しさ」×「力を有すること」。
ただ「優しい」だけ、ただ「力を有している」だけの人ではなく、「力」を有して自らの「優しさ」をどんな状況下でも突き通すことができる人、それが「カッコいい大人」なのである。


「優しさ」と「力を有すること」、これはどちらか一方では、目指したい姿にはなり得ない。「優しい」だけでは頼りない、この人は優しいけど結局他の人に怒られるからなぁ、結局この人が良いと言っても企画は実現しないしなぁといった具合になる。「力があること」だけでは頼られない、この人は優秀だけど自分の話は聞いてくれないしなぁ、この人はできるけどすぐ怒るから相談したくないなぁ、といった具合になってしまう。
だからこそ、「優しさ」と「力を有すること」の双方が必要不可欠であり、その二つの要素を兼ね備えた「カッコいい大人」こそ、万人に頼られる存在、つまり皆が目指すべき心髄なのである。

2022年3月25日 記


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