No.7「野望」
私には、「野望」がある。
それは、いつでも胸を張れる人生を歩むことである。
ビルゲイツ氏のように世界一の富を築きたいわけでも、スティーブ・ジョブズ氏のようにiphoneを発明したいわけでも、大谷翔平さんのように大リーグでMVPを取りたいわけでもない。自分の人生を振り返った時に、いつでも自分はやりきったと胸を張れる人生でありたい、ただそれだけなのだ。この「野望」を成し遂げるために、必要なことはただ1つである。それは人生で次々と迫られる選択に対して、「後悔のない選択」を選び続けること。人間には一人ひとり、得手不得手があり、それぞれの限界が存在する。だから、発揮するバフォーマンスが異なることは当然であり、必然なのだ。ただ一方で自分の限界に挑戦するという側面は、偉人だろうが自分だろうが同じなのである。また偉人たちも始めから何かを成し遂げようと人生を歩んできたわけではない。自分たちの限界に向け、「後悔のない選択」に挑み続けたその結果、数々の偉業を成し遂げられたにすぎないのだと思う。
自分は「後悔のない選択」を続け、振り返った時に胸を張れる人生でありたい。自分が成し遂げられえることは正直わからないし、本当に小さいことしかないかもしれない。ただそれは「後悔のない選択」をし続けた先にしかわからないものだと私は思う。
ゴミが落ちていることに気づいたら見て見ぬふりをせずに拾う、人が重い荷物を持っていたら代わりに持つ、ご老人に電車の席を譲る、彼女が困っていたら駆けつける、現状意味がなくても将来に意味があると信じて資格の勉強をする、仕事が人のためにならないと思ったら転職する、人生には事の大小はあるが、選択が無数に存在する。その中で、その選択に直面する都度、自分が後悔しない、やり切ったと胸を張れる選択をしていくことが大切なのだ。正直、疲れていてご老人に席を譲れないこともあるだろう、気力が足りず彼女の元に駆けつけられないときもあるだろう、勇気が出ず転職できないときもあるだろう。ただそれは、「後悔のない選択」を考えて出した結論か否かで全く性質が異なる。「後悔のない選択」を意識して出した結論であれば、それはその時の自分にはできない、つまり限界だったと思えるだろう。一方、何も考えずに出した結論であれば、それはただの怠慢、逃げでしかない。
皆に考えてみてほしい。仮に、席を譲らなかったご老人が電車の揺れで転倒し、骨折してしまったとしよう。もし、自分の限界で席を譲れなかったとしたら、気の毒に思うとしてもそれは仕方なかった、次同じ場面に遭遇したのなら頑張って譲ってみようと考えるのではないか。一方、怠慢や逃げで譲らなかったとしたら、酷く後悔するのではなかろうか。「後悔のない選択」をするというのはそういうことなのである。
「後悔のない選択」の先には、正解か反省しか存在しない。正解し続けるに越したことはないが、失敗の選択を選んでしまうことは必ずある。しかしながら、「後悔のない選択」をしていれば、「あの時、〜すれば良かった」とは絶対にならない。なぜならその時は自分の限界で正解の選択肢を選ぶことできず、仮にタイムマシーンで選択の時点に戻れたとしても誤った選択をしてしまうと思えるからだ。考え抜いた先の結論が誤りの場合、それは「次は〜しよう」という次への反省に繋がる。それが人のところの「成長」を意味するのだ。一時前は超えられなった自分の限界を、一度の失敗の反省を糧に自分の限界を超えていく、限界を塗り替えていく瞬間なのである。
この「成長」は「後悔のない選択」をしない限り、絶対にない。そして、この「成長」を続けていくことが、ビルゲイツ氏らの偉人に近づく唯一の道であると私は確信している。だからこそ、私は「野望」として「後悔のない選択」を続け、いつでも胸を張れる人生を送りたい。「成長」を続け、まだ見ぬ自分の未来の到着点を探求し続けたい、そう強く願っているのである。
2022年3月30日 記
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