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花公園で会いましょう

カー・ラジオから聞き覚えのある歌が流れる。
今、流行りの曲ではない、かつてヒットした曲で当時、歌っていた歌手は、大人の女性だった。

「この曲は…確か、昔、ラジオで当たったコンサートチケットで、聴きに行った曲!」

印刷会社の営業8年目の高鍋 健人(たかなべ けんと)は、懐かしい記憶を久しぶりに思い浮かべた。
歌手の名前は憶えていないが、歌の盛り上がりどころは、忘れもしない。
取引先のフォーム伝票の印刷物を納品し、会社に戻る。
デスクに座り、コーヒーを飲む。ミルクとお砂糖入りだ。ほどよい茶色がいい。
この時間が一番好きだ。ほっと一息ついていると、営業鞄に入れていたスマホが鳴った。

「ん?知らない番号だ…新規開拓で名刺を置いてきた会社からか?昨日は飛び込みも含めて、かなり回ったし…」

そんなことを考えながら、スマホ画面の着信にスライドで応答する。
左側にある電話のマークを押して、右にスライド…一呼吸おいて

「はい、高鍋です」

元気よく、わかりやすく話す、それが僕のモットーだ。
すると、スマホの向こう側から、笑い声が聞こえる…女性のようだ。

「ははっ、変わってないー!あっ、私、加納(かのう) まりな。」

かのう まりな?…まったく知らない人だ。

「…えっと、高鍋です、その…」

僕が返答に迷っているのが、相手にもわかるようだ。

「あっ、ごめんなさい。突然、電話しちゃって…さっきね、ラジオから流れていた曲を聞いたら、懐かしくなっちゃって。つい、SNSで高鍋くん調べてみたら、電話番号が書いてあったんで」

僕は、まだ相手の素性というか、誰なのかさえ見当もつかない。

「ほら!高鍋くん、昔、チケットが当たってコンサート行くって言ってたから」

「!」

「お仕事中でしょ?また今度ゆっくり…それじゃ♪」

「あっ」

何だろう、この展開。電話は切れてしまった。突然、見知らぬ誰かから、電話があって、一方的に話を聞いて、終わる。その日は、午後から仕事が手につかなかった。明日は土曜日で休みだから、仕事の段取りも何とかなったが…。家に帰りついても、そのことが頭から離れなかった。

「どうしたの?あなた。さっきから、全然…ご飯を食べてないじゃない。美味しくなかった?」
「あっ、ごめん…違うんだ」

妻のひろみが、心配そうな顔をする。今日の電話…大したことではないけど、話しておくか。病気とか会社の人間関係とか、変な心配されても困る。

「あとで、大学と高校、それに中学の卒業アルバム出してもらっていい?」
「うん、いいけど…何するの?」

ひろみに今日あった出来事を話す。すると、ひろみは笑って言った。

「それで、卒業アルバムね!あーでも、女性だったら、結婚して苗字も変わっているんじゃない?仕方ないわね、私も手伝うわ!」

夕食を切り上げ、夫婦二人で卒業アルバムを広げる。かのう まりな…もちろん、漢字もわからないが、とりあえず、女性の写真と名前を照らし合わせていく。大学…高校…中学…結婚した場合も考えて、苗字と名前をくまなくみる、終いには年賀状も見てみた、しかし…

「ないな…」
「うーん、まりなって、多くないと思うのよねぇ。だから、すぐ見つかると思ったけど」

ひろみが一息入れようと、コーヒーを入れる。
もちろん、ミルクとお砂糖入りの茶色だ。
夕食を切り上げて、かれこれ…2時間くらい卒業アルバムや、年賀状を見てみたが、かのう まりな という女性は見つからなかった。

「ねぇ、あなた、アレじゃない?なんとか詐欺とか。その後、連絡を取るようになってから、金銭を要求する騙されちゃダメな電話」
「いや、まぁでも、そうだな…」

ひろみには、一応その考え方もあるかも知れない、そんなニュアンスで答えたが、実際、そうじゃない…なんとか詐欺じゃないと思う、確実な理由が僕にはあった。

かのう まりな は、僕が昔…聴きに行ったコンサートの歌をラジオで聴いて電話を掛けてきた。
当時、流行っていた歌を聴き、僕を思い出すこともあるかも知れないが、「チケットが当たってコンサートに行く」ということまで知っていた。だから、卒業アルバムで名前を探した、年賀状も。僕は、この、 かのう まりな と関わっているハズだ。

「あら、コーヒーもう無いね、まだ飲むわよね、その調子だと」
「あぁ、ありがとう。うん、おかわりお願い」

ひろみはそう言うとキッチンへ向かった。きっと僕の神妙な面持ちを見てのことだろう。
もちろん、昔の僕を知っている誰かが、電話を掛けてきただけのこと、と考えれば、2杯目のコーヒーを飲まずにお風呂に入って、眠るところだ。でも、そうもいかない。
本当にわからないことが、まだある!
僕は、チケットが当たってコンサートに行った話を

誰にも話したことがないからだ!

妻のひろみにも話たことがない。
当時のクラスの仲間にも話していない。当たったコンサートのチケットが大人の女性歌手だったから。
もちろん、その歌は流行したが、クラスで流行ってた歌は、若いアイドルの歌だった。
だから、大人の女性のコンサートの話なんて、みんな目もくれない雰囲気があった。だけど、ラジオで当たったチケットで、初めて行くコンサート。僕は嬉しかったし、コンサートも良かった。

そのことを、何故、今日電話してきた かのう まりな は知っている?
そう言えば、電話で かのう まりな は「ははっ、変わってないー!」と
話ていた…やっぱり、僕を知っているのか?

「…ちょっと、あなた…もう~高鍋健人、聞いているの?」
「はっ、え?」

フルネームで呼ばれると、仕事がら、我に返りやすい。

「あなた、2杯目のコーヒーとっくに冷めちゃったわよ!」
「あ…ごめん、全然気づかなかった…」「みたいねぇ~」

ひろみは、溜息交じりに言い終えると、意外な提案をしてきた。

「そんなに気になるんだったら、明日にでも連絡取ってみたら?ほら、電話番号、非通知じゃなかったんでしょ?お昼間くらいに会うんだったら、アタシも許してあげるから」

今日が土曜日の朝で良かった。
昨夜は、あまり眠れなかった。休みなので起きるのも遅かった。寝室の壁掛け時計はAM9:30を差している。しかし、昨日のひろみの発想…提案には驚いた。こちらから連絡を取るなんて、考えもしなかった。
いや、普通は考えるのか?朝食を軽いトーストで済ませると、昨日掛かってきた電話番号…かのう まりな に電話を入れてみることにした。ひろみのほうをみると、マグカップに注いだコーヒーを持ったまま、こちらを見ている…

「あっ、アタシ…そばにいない方がいいかしら?」

少し意地悪そうに言うと、コーヒーを僕に渡し、ひろみはリビングのドアを閉めてくれた。
洗濯ものでもしようかしら?と普段、発しない大きな声が、ドアの向こうで聞こえた。あれでも気を使っているらしい。それじゃ、掛けてみるか。スマホの履歴をたどり、昨日の電話にかけ直す。すると、思いのほか早く、電話の向こうから昨日の声がした。

「え?高鍋くん!…まりな、嬉しい♪」

僕は、何から話せばいいのだろう…

「あっ、高鍋です、昨日はどうも。その…話も途中だったので、気になって…」
「ごめんなさい、突然電話しちゃって、で…何が気になったの?」

かのう まりな は昨日のままの、ひょうひょうとした受け答えだ。

「いや、その…あっ、かのうさん、どんな漢字を書くんだっけ?」

今の僕の、精一杯で応えた。

「気になるとこ、そこですか?…加納は、加えるの加に、納は納品の納!まりな は平仮名だけど♪」

しまった、これじゃ、まるで…思い出せず、昨日の夜、卒業アルバムや、年賀状などで「加納まりな」を探しましたと言っているようなものじゃないか!

「あっ、その…今日、僕…会社休みなんだ。良かったら、お昼くらいに会うことが出来ないかなと思って。変な意味じゃなくて、その…」

僕が途中まで言いかけると、加納まりなは、二つ返事で了承してくれた。

「嬉しい!もちろん、OK!! えっと、公園とかどうです?大淀(おおよど)第二公園!ほら、花公園って呼ばれている場所。花公園で会いませんか?そこで、コンビニのサンドイッチを食べるとか♪あっ、私、買っておきますね!コーヒーお好きでしたよね?」

「あっ、うん…じゃ、13:00に大淀第二公園…花公園で。着いたら、電話するよ。それじゃ、後ほど」

すんなり、加納まりなと会うことになった。会って…どうする?いや、僕のことを知っている加納まりながどこの誰なのか、からかわれているのか?なんとか詐欺なのか?確認したい。待てよ、そう言えば、さっきの電話でも、僕がコーヒーを好きなことを知っているようだった。いったい、誰なんだ…加納まりなって。

●●

自宅から大淀(おおよど)第二公園までは、20分ほどだ。
ボランティアの方が、花の植え替えをする公園としても名が知れていて、別名「花公園」とも呼ばれている。加納まりなは、この近くに住んでいるのだろうか?大淀第二公園…花公園は、川の近くにあり、昔はもっと小さな公園だった。そう言えば、市営住宅なんかも隣接されていたが、今は拡張されて大きく広い公園になっている。ところどころ昔の名残もあるようだ。

駐車場に車を止めて、腕時計をみると12:30分。少し早めに着いたが、まぁ送れるよりはいい。
少し歩いてみるか。土曜日の花公園は平日に比べて人が多いようだ。手入れの行き届いた花壇が、整った公園に映える。いつも営業で車ばかり乗っている僕にとって、歩くことや、花壇の花をみることは新鮮だ。
花公園を行き交う人を見ていると、同じ空間にいながら、全く違う人生を歩むものだなぁ…と少し考えたりした。歩き疲れて、空いたベンチに座る。腕時計を見ると12:45分を差している。15分くらいしか歩いていないのに、もう疲れるなんて。少しだが、汗までかいている。アラサーと言えど年齢を感じる年頃になったということか。

そんなことを考えていると、同じベンチに、20代だろうか、女性が腰かけた。長めの髪で、髪にウェーブがかかっている。目はパッチリで、いわゆるキレイ系の美人さんだ。土曜日のお昼時にひとりで公園に来るんだな、最近、女性のあいだで、流行っているのだろうか。

腕時計を見ると12:55分。そろそろか…考えてみれば、女性と待ち合わせて公園なんて、妻のひろみ以外、来たこともない。だんだん緊張してきた。加納まりなは、僕の顔を知っているのだろうか?僕は彼女の顔を知らない、が…スマホがあるから連絡は取れるか。でも、そもそも彼女は、本当に…ここに、花公園に来るのか?ひやかしで、直前でドタキャンとか。電話を掛けても『現在、この電話は使われていません』という、音声が聞こえてくるんじゃないか、そんな考えを巡らせている時だった。僕の右のほほに、ペットボトルの底が当たっている感触が…

「は?」

見ると、先ほどベンチに座った女性が、ペットボトルの底を僕の右ほほに押し当て、笑っている。

「はい、コーヒー♪」

「⁉」

「冷たいコーヒーで良かったですよね、高鍋くん♪」

「…えっ⁉」

長めの髪で、髪にウェーブがかかっている、目はパッチリで、いわゆるキレイ系の美人さん…が

「加納まりな…さん⁉」
「はい」

意外だった。加納まりなが、待ち合わせ時間前に来ていたことではない。
ペットボトルの底を右ほほに押し当てられたことでもない、これも意外といえば意外だが…そうじゃなくて、若い!加納まりなが、思っていた女性の年齢よりも若かったことだ。
これは、増々わからなくなってきた。てっきり、学生の頃の同級生を想像していたからだ。僕が30歳だから、30歳くらいだと、当然のような思い込みをしていた。20代前半か、僕と4~5歳は年が離れている感じだ。若作りしているようにはみえない、ズバリ!若いのだ。

「あっ、こ、コーヒーありがとう。でも、僕がコーヒーを好きなこと何で…」
「知ってます、でも、ちょっとショック!本当に覚えていないんですね」

加納まりなは、それでもニコニコしながら話す。
勘違いかも知れないが、僕に会えて嬉しい…そんな雰囲気さえ感じる。

「ご、ごめん。まったく…。僕、昔、何か悪いこととか、しでかした?」
「あはは、してませんよ」

加納まりなは、そう言うとサンドイッチを取り出し、高鍋へ渡す。彼女自身は紅茶のドリンクを飲むようだ。彼女は紅茶を口に含み、もったいぶるように話す。

「うーん、そうだなぁ、高鍋くんが思い出してくれるかも知れないから、もうちょっと内緒♪」
「ぐはっ、まぁ、お、覚えていない僕も悪いか…」

聞けば、彼女は25歳だという。最近、地元であるここ、花公園のある大淀市(おおよどし)に、関東から戻って来たそうだ。それで、先日、たまたまラジオで聞いた曲で、僕に連絡してみようと思ったという。電話で聞いた話と同じだ。確かに、SNSでは、印刷会社の営業ということもあり、顔も出しているし、連絡先である電話番号も載せている。ここまで彼女の話を聞いて、嘘をついているとか、なんとか詐欺のような感じはまるでない。

一通り話をするも、僕が加納まりなを思い出せるきっかけや、ヒントはまるでなかった。ただ、彼女が嬉しそうに話す笑顔が印象的だった。僕が結婚していること、子どもはまだいないこと、印刷会社の営業の失敗エピソードなど、彼女は嬉しそうに聞くばかりだった。楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。腕時計を見ると夕方17:00になる頃だった。その時計を見るしぐさを彼女が見たかどうかはわからないが

「あっ、そろそろお家に帰らないと、奥さん…ひろみさん心配しますね」
「そうだなぁ、でも、結局…何で加納さんが僕を知っているのか、わからずじまいだよ」

僕がそう言うと、彼女は笑いながら言った。

「いいの、もう。たくさん、お話しできたし♪ 思い出したら、連絡ちょうだい!その時、いっぱい話すから。今日も本当にありがとう」

彼女の屈託のない笑顔は、一緒に話が出来たことや、僕が思い出したときに、またたくさん話が出来る…約束が出来ることに満足のようだ。

「そっか、じゃ…気長に思い出すよ!」
「うん」

僕は彼女に手を振り、花公園を後にした。
自宅に戻る車の中で、ひとつ思い出したことがある。
昔、この花公園…大淀第二公園が拡張する前に、来たことがあった。
まだ隣接する市営住宅が立ち並ぶ、あの頃…。

●●●

家に帰りついたのは、17:30分くらいだった。
リビングには、僕を待ちかねた、ひろみの姿があった。話が聞きたくてたまらない!そんな表情だ。

「で、あなた、どうだったの?」
「あぁ、会ってきた、加納まりなさん」

僕は、加納まりなが25歳であること、最近、地元である大淀市に戻ってきたこと。以前は関東に居たことなど、見聞きした話をすべて話した。流石に、右のほほにペットボトルのコーヒーの底を当てられた話には、ひろみも爆笑した。そうそう、帰りにスマホで彼女の写真も撮った。
あえて、ペットボトルを逆さで持っている写真。

「何、コレ!若いし、美人だし、でも…素直そうな女の子じゃない」
「あぁ、てっきり30歳くらいの加納まりなを想像していたから、驚いたよ」

さらに…ひろみに伝えた。かつて、ラジオで当たったチケットで初めてコンサートに行ったこと、だけど…この話をするのは、ひろみが初めてだということ。

「うーん、その…まりなちゃん、誰にも話していないコンサートの話を知っていたってことね。それに、あなたを知っているような口ぶりだったこと…」
「あぁ、昨日は言えずに、ごめんな。でも、結局、わからずじまいなんだ」

腕組みをしながら、考え込むひろみだが、真相がわかるはずもない。当事者の僕でもお手上げだ。だけど、彼女、加納まりなは…確実に僕のことを知っている。今夜も眠れそうにない…が、明日は日曜日。ベッドで考えながら眠っても会社に遅刻するワケではない。ひろみも、素直そうな女の子だし、また今度会う時に、ストレートに聞いてみればいい!と区切りをつけたようだ。なんとか詐欺じゃないことがわかっただけでも、安心したみたいだ。

就寝前にシャワーを浴びる。今日一日が思い起こされる。加納まりなが、想像より若かったこと。それでも、見知らぬ女性だったこと。そして花公園…大淀第二公園に以前行ったことがあること…まだ市営住宅が隣接されていた頃、今のように拡張される前の小さな大淀第二公園。僕がラジオでコンサートチケットが当たったのは、確か小学6年生の頃。そう、その頃だ。だけど小学生の頃の卒業アルバムを見たとしても、加納まりなは載っていない、5歳も離れている。

風呂からあがり、寝室へ。ひろみはもう、すやすやと眠っているようだ。かすかに寝息が聞こえる。部屋の壁掛け時計をみると、23:30分。ベッドに入り、かつての花公園のこと、初めて行ったコンサートのことなどを考えているうちに、僕は眠ってしまった…そして、昔の頃の夢を見た。

●●●●

夢の舞台は花公園。
昔は小さな大淀第二公園だった。大淀第二…そう、遠足だ!遠足で花公園へ行った。3月のお別れ遠足。卒業する6年生と下級生が一緒に行動する行事だ。だから、あの花公園を僕は知っている。下級生…そうか!加納まりなが1年生、若しくは2年生なら…5歳くらいの年の差だ。当時の僕は6年生だ。でも、かなり昔の記憶だ…何かあったのかなぁ、あの遠足で…。


座り込んで泣いている女の子がいる
川近くの花公園の土手で水筒を落としたらしい
高学年ぽい男の子が女の子に駆け寄ってきた
どうやら一緒に探し始めた…が
なかなか見つからないようだ
男の子が女の子に何か話ている


「くよくよしちゃダメだ!こういう時は、楽しいことを考えながら探すんだ。そうすると見つかるもんだよ。僕ね、チケットが当たって、今度、初めてコンサートに行くんだ!また会う日まで~って、歌う歌手のコンサート」

「!!」

僕は跳び起きた。
隣で寝ていた、ひろみも起こしてしまった。

「ビックリしたぁ…ど、どうしたの、あなた?」
「お、思い出したんだ…!」
「え?」

名前なんてどうでもいいんだ、思い出せた!
確かに、僕は彼女と会っていた、話したことがある!
一緒に公園の土手を、背の高い草をかき分け、探した水色の水筒。
名前も聞いた、まりな。僕は6年の高鍋って言った。
見つけた水筒には、ひらがなで、かのう まりな と書かれていた。

寝室の壁掛け時計を見ると、まだ朝の6時。
それでも、ゆっくりと、ひろみに思い出せたことを話す。

「じゃ、あなた…コンサートに行く話、まりなちゃんにしてたのね!」
「…あぁ。それで、加納まりなさんは、僕のことを知っていたんだ」

本当なら一刻も早く、加納まりなにこのことを、思い出せたことを伝えたい。
でも、まだ朝の6時だ。連絡をするには早すぎる。9時…いや、日曜日だから、10時くらいに
電話してみよう。僕が彼女を思い出せたことを伝えたら、きっとすごく喜ぶと思う。

休みの朝6時に起きることなんて、ほとんどない。
8時、いや8時30分くらいに起きて眠気を覚ますために顔を洗うくらいだ。
だけど今日は、もう眠たくない。
早めに朝食だ。いつものトーストにコーヒー。黙々と食べて、飲む。テレビもつけていない…なんだかいつもの感じではないことくらい僕自身がわかる。妻のひろみも、僕がそわそわしているのが、わかるようだ…だが、何も言わない。朝食を食べ終えても、リビングにある時計は、まだ8時だ。ひろみは、僕にコーヒーをつぎ足すが、特に何も言わず、僕がそわそわしているのを楽しんでいるようにも見える。

…だけど遠足が、あの花公園だったのか。
だから、昨日会った場所が花公園。納得がいく。そもそもが、待ち合わせ場所がヒントだったなんて、昨日の僕に伝えたい!なぜわからないんだ、高鍋 健人!

僕がブツブツ独り言を言っていると、ひろみが話しかけてきた。

「あ・な・た…10時になったけど、電話しないの?」
「はっ!ほ、ほんとだ、電話し、してみるよ!」

どうやら、ひろみも気になっているようで、リビングから離れようとしない。
マグカップにコーヒーを注ぎ、僕の目の前の椅子に座る。僕は、10時を過ぎたことをもう一度確認する。
そして、加納まりなのスマホの履歴をたどり、昨日の電話にかけ直す。
・・・コールの音が耳に聞こえる。以前のように、早めに出られたら、先ず、思い出したことを伝えよう!そして、また会ってゆっくり当時のことを話したいーーーーが、加納まりなは、電話に出ない。
5回、6回のコールでも出ないので、発信を切ろうとしたその時、女性の声が耳に入った。

「もしもし」
「…あっ、た、高鍋です、加納まりなさん?」
「…たかなべさん?」

何かが変だ。

「…?は、はい、高鍋健人です…?」
「…えっと」

おかしい。名前を伝えたが、まず…声が違う。
昨日の、加納まりなの声じゃない。話も噛み合わない。
というより、話しが前に進まない。僕が困惑していると電話の向こうの女性が、何かに気づいた。

「あっ、高鍋さん、高鍋健人さんですね!」
「は、はい!加納さんのお電話じゃ、なかったでしょうか?」
「ごめんなさい、加納です、加納の電話です」
「良かった、加納まりなさん、いらっしゃいますか?」


そう言うと、電話の向こうの女性が応えた。


「まりなは、今朝、亡くなりました」
「…え?」


僕は…スマホを持ったまま、リビングの椅子から立ち上がっていた。
座っているひろみは、不思議そうな顔をしている。

「まりなの母、加納 美登里(みどり)と申します。今朝6時に享年25歳でしたが、精いっぱい生きたと思います。」


僕は状況が、のみ込めない。


「えっ、だって昨日…」
「はい、昨日まで頑張っていてくれて、あなたの話もしていたんです。最近、一か月くらい前に、関東の職場からこちらの大淀市に戻ってきましたが、元々、身体が弱く、持病が悪化したこともあり、入院しておりました」
「入院!?」
「昨日も病室で、あなたの話を聞かされましたわ。まりなが小さい頃、遠足で水筒を失くしたさい、一緒に見つけてくれた6年生がいて、名前が高鍋健人くん」

僕は、加納まりなの母親、美登里の話を、ただただ聞いていた。

「それで、水筒を見つけてくれた時に、うまくお礼が言えなかったって。いつか会って、きちんとお礼を伝えたいし、今の高鍋くんとお喋りがしたいって…」
「…み、水色の水筒でした」
「そうそう!」

加納 美登里は、嬉しそうに話す。

「でもね、今、高鍋さんからお電話をいただけて、まりなも喜んでいると思います。母親の私が、高鍋さんとお喋りできているんですもの」

加納 美登里の話を聞いているだけで、涙があふれた。
涙があふれるばかりで、もう言葉出来ない。
昨日、加納まりなと花公園で会って話したこと。でも、思い出せなかったこと。だけど、今朝思い出せたこと、それを伝えたかったこと。

「お電話、どうもありがとうございます。実は、まだ病院なんです。さっそく、まりなに報告して来ますね」
「…い、いえ…あっ、大変な時にお電話差し上げてすみません」
「とんでもないわ、あの子も喜んでいますわ」

僕は、加納まりなとした約束を思い出した。
だから、電話の最後に、まりなの母に伝言を伝えた。

「美登里さん、まりなさんに、伝えてください。思い出したし、お母さんを通じて、いっぱい話せたって!そう言えば、わかります!」

加納まりあの母、美登里が電話の向こうで、泣いているのがわかった。
もちろん、僕も泣いていることを隠せていない。

電話を切り、リビングの椅子に腰かける。
妻のひろみも僕の電話のやり取りの一部始終を見ていた、聞いていたようで
大体のことは察しがついたみたいだ。

跳び起きたり、そわそわしたり、涙があふれたり。
日曜日の朝なのに、こんなことが、こんなにあって…また、涙がこぼれる。

温かい、そして甘いコーヒーを、ひろみが持ってくる。

「ハイ、あなたの分。おかわり必要な時は言ってね」
「あ、ありがどぉ…」

ダメだ。涙が止まらない、鼻水も。
ひろみは多くを聞かない。それでも、すべてをわかったふうに言う。

「加納まりなちゃん、きっとあなたに会いたかったのよ、それでね…本当に会えたと思うの!」
「…うん」

ひろみが続ける。

「高鍋 健人、あなたは、まりなちゃんにとって、憧れのお兄さんだったのよ。そして…」
「そして?」

ひろみは、マグカップのコーヒーを口にして、微笑みながら、ため息をつく。

「…これだもんねぇ、男の人って。わからないかなぁ?」
「はぁ?」

ひろみは結局、ニコニコしながら教えてくれなかった。
それがわかったのは、数週間後に届いた、加納まりなの母・加納 美登里からの手紙だった。

手紙には、まりなの手紙が同封されていた。
内容は、一緒に水筒を探してくれて、ありがとうという言葉。
水筒が見つかるまで、いろいろな話をして探してくれたこと、大人の歌手のコンサートに行くから、最近コーヒーを飲み始めたこと、それで遠足の水筒にコーヒーを入れてきたことなど。
そんな手紙の書き出しには、こう書かれていた

初恋の人 高鍋 健人さま

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