3.11にあたって思うこと (March,11)

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災から、9年の月日が経ちました。

「もう9年」と思う人もいるでしょう、一方で「まだ9年」と思う人もいるかもしれません。

僕個人としては、「まだ9年」という印象を持っています。

興味を持っている原発問題が、何十年にもわたる長期的な対応が必要な問題だからかもしれません。

Fukushima 50

先日公開された映画「Fukushima 50」は、震災発生直後、地震や津波による全電源喪失の状態で、暴走する原子炉と闘った福島第一原発の作業員たちを描いた物語です。

無責任な東電本店と迷走する官邸相手に戦い続けた吉田昌郎所長を渡辺謙が、現場責任者として、暴走する原子炉に実際に立ち向かった伊崎利夫当直長を佐藤浩市が演じています。

あまりにリアルで、鮮明で衝撃的な映像とまるで当時の様子をそのまま映しているかのような緊迫感

そして、単なる英雄譚ではなく、迷い、苦しみながらも、使命感と責任感、郷土愛を胸に必死に立ち向かったありのままの人間の姿

イデオロギーや責任の所在論争の立場を越えて、「生きる」とは何かを考えさえられる映画になっています。

一方で、当面の危機は乗り越えたものの、廃炉作業、使用済み核燃料・デブリの取り出し、汚染水の管理など問題は山積していることは描かれていませんでした。(もちろん映画の主題や尺の問題があることは承知しています。)

原発事故の問題は、過去の話ではありません。現在進行形の問題です。

原発のあった双葉町や大熊町、富岡町といった帰宅困難区域の一部解除という前向きなニュースもありますが、これからどうやって生活を再構築していくのかは未知数です。

引き続き、関心を持って追いかけていきたいと思います。

9回目の3.11 当日に思ったこと

新型コロナウイルスの影響もあり、これまで開催されてきた追悼式典は中止になりました。

それでも、社会として関心を持ち続けようという動きは続いています。

例えば、Yahoo!JAPANは「検索は応援になる」と銘打ち、「3.11」と検索したユーザーひとりにつき、10円をYahoo! JAPANから復興支援のために寄付する活動を続けています。

ただ寄付をするだけでなく…もちろんそれも素晴らしい活動なのですが、「検索」という行為を挟み、特設ページにランディングさせることにより、関心を持続させるという素晴らしいスキームです。

他にも、私の大好きなプロ野球やJリーグも、被災を経験したチームを筆頭にメッセージを発し続けています。

中でも川崎フロンターレは、震災後から岩手県の陸前高田とパートナーシップを結び、現在まで様々な支援活動を行っています。

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「支援はブームじゃない」

この言葉は、自分の中に強い印象を残しました。そして同時に、ある疑問を生み出すことになります。

9年間、被災地に寄り添う取り組みを続けてきた人たちがいるなかで、毎年この日だけ、震災のことを語るメディアや個人がたくさんいるということです。

もちろん、亡くなった人たちに思いを馳せることを否定する気はありません、その機会に震災当日がふさわしいのももっともです。

それでも、ぬぐい切れない違和感があり、それは毎年大きくなっていきました。「支援はブームじゃない」という言葉と出会ったときに、その違和感のもとがわかった気がしました。

こうした動きが、あまりに「一過的」だからです。

「忘れない」「忘れてはいけない」と言っておきながら、また1年間、つぎの3.11がくるまで忘れていて、また3.11を迎えて同じことを言って…というのを繰り返してはいないでしょうか。

そんな思いを持っていた中で、こんな記事に出会いました。

東日本大震災による津波で建物の8割が被災し、死者・行方不明者の数は900人を超えた宮城県女川町

地元の老舗企業「蒲鉾本舗高政」の公式Twitterアカウントが、昨年の3月9日に投降した内容が話題を呼びました。

同社の4代目、高橋さんは「被災地の素材化」という言葉で、震災に関する報道に疑問を投げかけています。

そして、こうもおっしゃっています。

「震災を忘れないという手段が目的化してしまっているのではないか」


記事の結びには、こんな言葉があります。

「安易に考えているんじゃねえって思っちゃうんですよ。女川はこんだけ明るい町になってるのに、楽しい街になっているのに、なぜ1年に1回、必要以上に悲しい場所に引き戻されなくちゃいけねえの?10年目の震災報道は、悲しいストーリーばかりでないことを期待します。」

私たちが、自らの想像する「被災地像」を押し付けることによって、被災地を「素材化」して、実情や変化を知らずに、安易に語ってしまっているのではないだろうか。

「なぜ」「何のために」あの震災を忘れてはいけないのか?

それを考えずして、「忘れない」「忘れてはいけない」を繰り返していること…私が抱いていた違和感を簡潔に言い表す言葉でした。

では、なぜ、忘れてはいけないのか。

言わずもがな、悲劇を繰り返さないため

いつか来るであろう次の震災に向けて、そこで生き延びるために、準備を怠らないこと…それが我々が東日本大震災、そして過去の自然災害から学ばなければいけないことです。

例えば、

災害時の連絡手段はどうしていますか?

避難場所の確認は?

水や食料、電池といった非常用備蓄品の準備は?

こうしたことを考え、備える時間にしなければいけません。

終わりに

もちろん、被災地に思いを寄せることも大切な営みです。

場合によっては、支援をすることも必要でしょう。それぞれの地域によって、抱えている課題は異なります。まだまだ悲しいストーリーのほうが多いところもあるのかもしれません。

でも、それも含めて、まずは「知る」ということが大事だと考えさせられました。

一番は、「自分の目で見ること」

また足を運んで、そこで見たこと、感じたことを自分の判断基準としようと思ったそんな9回目の3.11でした。


東日本大震災でお亡くなりになったすべての皆様のご冥福と

今なおその影響と向き合い続けている皆様のご多幸、ご健康を心より祈念いたします。

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