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店をオープンするまで / (5)やらない理由が、もう、ない

JHDC2016の決勝戦が2016年7月に終わりました。ぼくはすでに同年3月にはレコールバンタンでの課程を修了していましたから、あとはコーヒー屋さんで働くだけ。

レコールバンタン在籍中からいくつものコーヒー屋さんに採用エントリーをしていましたが軒並み不採用。当時41歳で、実務経験なしで、なんなら飲食業も初めてという言ってしまえば中年の男性を採ってやろうかというお店はなく、日々お祈りメール、お祈りレターが届いていました。自分が採用する立場ならもっともだと思っていましたので苛立ちはありませんでしたが、早く働いてコーヒーに向き合いたい気持ちは大きくなるばかりでした。

そんななか、東京にあるスペシャルティコーヒー店にアルバイトで採用していただきました。2016年6月から9月の3か月余りという短期でしたが、初めての飲食業経験は当たり前ながら学びが多く、その後に自分の店で営業を始めたときにはたいへん役立ちました。

アルバイトで働いたコーヒー店はフレンチプレスでコーヒーを作るのが基本でしたし、ぼくが配属された店舗はコーヒー以外に紅茶やフローズン系などのドリンクも提供していましたので、コーヒーのことよりも店舗運営であったり、オペレーションであったり、衛生管理であったり、そしてなにより接客といった、まさしくお店をやるにあたって商品作り以外に必要な仕事をよくよく経験させていただきました。

このアルバイト期間中にもJHDCへのボランティア参加を通じてコーヒーに携わる人たちの情熱に胸を打たれ、一方でコーヒーにどっぷり向き合うには必ずしも理想的でなかったアルバイトの環境は、将来を展望するといまの自分には疑問符が浮かんでいました。

そんなおり、知り合いだったコーヒー屋さんも参加されていたJHDC決勝戦後の懇親会で、お知らせのつもりでコーヒー店で働き始めた旨をその人にお話ししたところ「マジですか、ホントですか、え、そのままアルバイトって話じゃないですよね、えっえっえっ」という、まさに情熱を奔流のように向けてくださり、個人事業主としてコーヒー屋を始めるにあたってのお話を怒涛のように聞かせてくださいました。当時のぼくのメモにはこう記してありました。

(メモから引用)

『おれに語りかけている最中、この人は一瞬たりともゆるまなかった。ヘラヘラっとした笑顔をみせなかった。目が真剣。ずっとそう。「とゆーても難しいですよね、そういう決断w」的な話や空気は一切みせなかった。真剣。』

2016年7月25日のことでした。



それまでほんのりと思い浮かべることもあった自分の店をもつというイメージ。そんなところに、押し流されそうな情熱の奔流がうわーーーっとやってきて意識が切り替わりました。

アタマでは分かっているもっともなことを人様からアドバイスいただいたときに、やっぱりそうだよね、当たり前だよねと確認できた気持ちになって、一歩踏み出す力になりました。

・成功するにしても、失敗するにしても、5年先送りにしたらいずれにしても後悔する。
・成功したなら、5年早く取り組んでおけばもっと稼げたのに・・・。
・失敗したなら、5年早く失敗しておけばリカバリーがラクだったのに・・・。

まったくごもっともな話です。

本当に奇しくも、その数日前にアルバイト先のマネージャーの方に問われた「あずみさん、この仕事に向いているって自分で思ってますか?」というお話に、ぼくはこのように思いを伝えていたことをメモしていました。

「向いてるかどうかは分かってませんが、向いてると思ったからこっちの世界にきたのではなく、やりたいからきたんです。向いてるかどうかは考えたことないです」

その数日前のときにはまだおぼろげだったぼくの「やりたい」は、あらためて自分の中から声がしてクリアに見えるようになってきました。

(メモから引用)

『そう。
やりたい、という情熱が自分のなかで続いている。
自分の淹れたコーヒーでお客さんを笑顔にしたい。この情熱が。
情熱が、もう、ずっと、くすぶりながらも続いているのだ。
コーヒーを介して人と接したい。
コーヒーを介して人を笑顔にしたい。
それをすると自分も幸せになる。
そして、人を笑顔にできる「コーヒー」という媒介を手にしつつある。
火は点いて、
現実的にごもっともな話もあって、
なにより自分にも情熱があって、
やりたいことを具現化するための技術も学んでいる。
・・・やらない理由が、もう、ないよ。』

そう思い至るまでに時間はかかりませんでした。

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