藻琴山回顧録
(写真は2016年にロシアの某ローカルスキー場で撮ったもの。このスキー場でテレマークスキーを初めて滑った外国人、だと思う)
現職はデータセンター関連の外資系企業ですが、最近東京のオフィスに入社した人とスキー関連で共通の知り合いがいたことが分かり、世間の狭さに驚かされました。
釧路周辺に住んでいる山スキーヤー(あえてバックカントリースキーヤー、とは言わない)にとって、藻琴山は手軽に行ける山でした。当時は他の山屋は夏道の往復、せいぜいキャンプ場への斜面をヨロヨロと滑り降りるのがせいぜいで、私とその仲間たちのように、滑りを求めて一日中登りと滑りを繰り返していたグループは皆無でした。
道具は山スキーだと「足が折れても外れない」と言われていた、解放機能があるのか無いのか分からないジルブレッタ300がメインで、やっとディアミールが出てきた頃です。テレマークの金具は3pinを使っている人もいましたが、ロッテフェラーのChilliかChilli Cobra(雪付きがひどかった)かTarga G3が普通でした。
道東ではクラストした斜面が多く、良い雪に当たることは年に数度だったので、センター幅が確か85mmの(それでも当時はかなり太かった)Pocket Rocket、長さ185cmをゲレンデでも山でも使っていました。
一本の板をどこでも使いこなす、と自分も回りもそうゆう考えだったので、太板でもコブを滑っていました。自分の滑りの癖なのか、板はすぐにソールが剥離し、G3は毎年右足のトウピースがもげていました。
子供もまだ小さいので、まだ「藻琴山でファミリースキー」という訳にはいきませんが、近いうちに藻琴山でファミリーハイキングしたいと思います。自分が20年以上前に、どきどきしながら山頂から滑った急斜面をコルから指差しながら、子供たちと景色を楽しみたいです。
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