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羊と踊る海 

ヨットレースを追いかけて(2)

ジュリアンは僕より10くらい年上でヨットの経験が長い。プロとして大陸間のヨット回航の仕事もこなす。僕も彼とは2度、長距離の回航をやったことがある。

1度目は94年にニュージーランドからフィージーの約1,000マイルを8日かけて渡った。ヨットは40フィートでオーナーはハワイから来た夫婦だった。経営しているお菓子工場を兄弟に任せて、ホリデーのためにニュージーランドにやってきたという。ヨットをオークランドで購入しフィージーまでの処女航海を、自分たちだけでは心細いからと船長をジュリアンに依頼した。僕はその補佐としてジュリアンに推薦してもらった。

航海中働くということで飲食と寝床はすべて無償。給料をもらえたわけではないが、半分プロになった気分だった。しかも誰もが憧れる南太平洋のトロピカルリゾートまでタダで行けるのだからこれ以上のビッグチャンスはない。半人前とはいえプロなのだからと、出港前の準備から気を引き締めて取り掛かった。艇の整備から航海に必要な飲料水・食料や燃料の調達、出国手続きまでと書けば簡単だがその量は多い。僕はジュリアンから吸収できるものは何でも自分のものにしようと貪欲だった。航海中夜半に海が荒れ船酔いで吐いても、セールの上げ下げは誰にも頼らずこなし、飯を食う気になれなくても舵はしっかりと握った。目的地のスバの沖にアンカーを降ろし、食べたステーキの味は忘れられない。

96年に日本からニュージーランドまで約5,500マイルを71フィートのキティという当時日本最長のヨットを回航した。ヨットオーナーは海外へ航海するための船長を日本で探していたが、見つけられないでいた。そこに僕がクルーとして応募した。船長が見つけられないと聞き、ジュリアンを紹介したのだった。これもラッキーというかヨットオーナーは英語をまったく話さない日本人で、僕は通訳も兼ねるヨットマネジャーの仕事を獲得することになった。これがジュリアンとの2度目の長距離回航だが、準備期間から数えると2年もあり、詳細は別の機会にする。とにかく大変な「大冒険」だった。

さて、アメリカズカップの観戦である。ボートを桟橋につなぐもやいロープを切ってマリーナからレース海域に向かう。レース海域には大小さまざまな観覧船が集まる。お金を払って乗る有料観覧船もあれば、自分たちの所有する船で来ることも可能だ。もちろんヨットだけでなく、エンジンで走る大小さまざまなっパワーボートも。さらには超リッチなセレブのスーパーヨットも現れ、海上には華やかなお祭り気分とレースの緊張感がまじわり異様な雰囲気があふれる。いつも見慣れている海だが、このレース海域は非日常の空間に一変する。これが世界最高峰のヨットレース、アメリカズカップだからだ。

スタート前になるとどの観覧船もスタートラインに寄ってくる。ここが一番レース艇に近く、ヨットレースでは緊張する瞬間が見れる場所だから。陸の自動車なら一度停めたら、その一か所から動かずにいられる。しかし、水に浮かぶ船はそれができない。常に風と波の影響を受け、上下左右前後とあらゆる方向に動き続ける。留まろうとするには風と波を予測しながらエンジンと舵を常に調整しなければならない。スタートライン前という狭い空間に、数十からときには百を超える大小さまざまなボートとヨットが密集すると操船はより困難になる。

スタート前は観覧船の船長の腕の見せ所である。一番観やすいスポットを狙ってお互い牽制し競うことになる。誰も大切な船をぶつけたくはないが、誰もが特等席で観戦したいという気持ちがせめぎ合う。ヨットレースにはスポーツとして公平かつ安全を保つための様々なルールがあるが、観覧船にはレース艇を邪魔しないという以外、ルールらしいものなんてないんである。やり放題というのは言い過ぎと思うが、やったもん勝ちというのは否めない。腕に自信がなければ遠く後ろから豆粒のようなレース艇を眺めるしかない。

ここでジュリアンの操船技術と負けず嫌いのヤンチャ坊主が威力を発揮する。エンジンスロットルと舵輪を大胆に操り、前後左右360度に展開する観覧船の間を潜り抜けベストポジションを勝ち取る。あとは何があってもそこを譲らないという強烈な意思を込めた絶妙な操船は他船を寄せ付けない。レースが始まる前から熱い戦いが観覧船のあいだで繰り広げられるているのだ。

ジュリアンとて後ろに目があるわけでないから、僕が常に周りの状況を見て彼に伝える。見落とそうものなら狂ったような声とキタナイ言葉でどやされるし、帰ってからとことん理路整然と説教されぐうの音も出なくなる。とにかくスタート前に観てる側が手に汗握り、休む間もなくレースを楽しむ。一粒で二度美味しいってのはこのことだ。


2000/2/24 America's Cup R3 「地の利ってことかな」

中止になった今日のレース、プラダとニュージーランドの反応はまったく違ってて、それぞれの思惑を映してるようでした。13時頃4ノットしかなかった風が徐々に上がり、16時前に10ノット近くまでなりました。「早くレースやろうよ」 とばかりメイン、ジブをしっかり上げ走り回るプラダとは対照的に、まったく興味さえ見せず寛ぐニュージーランドのクルー達。

結局、風のシフトが大きすぎるということで中止となりました。上下のマークで40度も違うんじゃしょうがないなと思いましたが、このレースコントロールの決断は何かと論議を呼んでるようです。

夕方、夜のテレビニュースで一番映っているのはプラダでもニュージーランドでもなくレースコントロールの姿。アナウンサーの口調はまるで不正を犯した政治家のニュースを読んでるよう。

中止決定直前ニュージーランドはデッキに2枚目のジブを出しました。2枚ともバッグに入ったまま、上げる気なんてさらさらなさそう。これを見た人曰く「あれはレースコントロールに送った中止のサインだよ」と。でもそれは勘ぐり過ぎでしょ。

テレビのレース解説者も「この風でレースしないなんて世界でもここだけじゃないの」とチクリ。

本戦開始前ブラックボートは12ノット以下では走らない”dog” つまり失敗作といううわさがありました。過去2レース、特に第1レースの走りはこのうわさを吹き飛ばしたかのようでしたが、中止決定直前の二艇の動きはこのうわさに真実味を増したように見えました。

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