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AIと愛と

何のこっちゃなタイトルですが。


眼鏡を新調しようと思い立ちまして

長年使っている眼鏡が傷だらけになってきていたので、そろそろ買い替えようという気分になりました。探してみると、アプリで試着できるサービスを様々な企業がやっているそうで……。これは面白い、ということで試してみました。

おお、すごい。iPhoneの画面に、眼鏡を掛けた自分が映る。
しかも選び放題。
顔を動かすと、その眼鏡の向きも変わる。
掛けていないのに、何だか本当に掛けている気分!

バーチャルで試着できることに驚く自分。無知は怖い。わざわざ店舗に行かなくても大まかな雰囲気は分かるという、いつの間にかすごい時代になっていました。いや、自分が時代に乗れていなかっただけですが。そりゃそうですよね、いつもFace IDでロック解除しているのだから、眼鏡を画面上で合わせるなんて、もうすでに簡単なことなのでしょう。

しかも顔の情報から、AIが僕の顔に似合う眼鏡を探してくれている。画面にはずらりとその候補たち。AIすごい。


高スコアをもらっていい気分になって

そのAIさんによると、どうやら自分の顔には太い黒縁の眼鏡が似合うそうで……。
一番似合うとされているものは95%の判定!おやおや、これってなかなかの高スコアじゃないの?

ちょっといい気分になって、妻に聞いてみました。
似合い度が「95%」なんて、何だか気恥ずかしかったので、数字はもとより似合うかどうかを測定したことなんて言わずに。


「眼鏡を新しくしようと思うんだけど、今度この眼鏡とかどうかな。」
「あ、太いフレームにしたんだね。似合うよ!」
「おお、よかった!実はこれAIも似合うって判定してくれて、かくかくしかじか」
「へぇ〜、便利な時代になったね!」


そんな会話を期待して。


結果は

「眼鏡を新しくしようと思うのだけど、今度、このメガ…。」
「うーん、私は細いフレームの方が似合うと思う。」
「え」



ぶった斬られるAI

「(!!!!?)あ…、いや、これ、なんかえーあいが…」
「太いフレームは、あなたの顔には強すぎるよー。」
「あ、そうなんだ……。でもこれ、えーあ」
「しゅっとした薄い顔なんだから、細くて薄いフレームの方が自然だよ。」
「うすいかお……。」


妻の完勝。ほぼゼロ秒で判定。理由が簡潔かつ具体的。完璧です。
なんせ、こちらのプロンプトを最後まで話す隙間すらありません。


「似合い度が95%」から会話を始めなくてよかった。恥ずかしさで行き場を失っていたと思います。


そんなことを言われているうちに

「あ、これ、試着って書いてあるよ!面白そうだね〜。」と、眼鏡の試着に気付いた妻。
僕のiPhoneの画面をつるつるとやって、「これ、試着してみて!」と。
もちろん、細いフレームが映っています。


ポチッと試着。
「うん!やっぱりこっちの方が好きだなー。」なんて言われたので、もしや高スコアかも……!!と期待。
恥ずかしかったのでこっそりと判定。







72%。







72%だと…?

ええと……。絶妙にどっちなんだか分からないこの数字。

細いフレーム。
AIさんは72%で、自分をよく知る妻はこっちの方が好きと言ってくれている。

太いフレーム。
AIさんは92%で、妻からは秒でぶった斬られた。


これはどう捉えたらよいのだろう。


そもそも、似合うのが72%ってどういうことじゃろか……。



データに振り回されるワタクシ

いやはや、これは自分にとってなかなか面白い体験でした。

眼鏡はファッションの一部でもあるから、最終的には自分で掛けたいものを掛ければよいはず。

「自分が掛けたい眼鏡」のイメージを持ってからAIを使ったのではなく、AIを用いて「自分に似合う眼鏡」を見つけるという過程を踏んだことが、今回の結果の大きな要因かなと考えました。

要するに、僕の「こういう眼鏡が欲しい」という願いから始まったわけではない、
ということです。

だから、AIというデータに振り回される。AIが言うのだから似合っているはずだ、という思い込みです。いや、AIが言うのだから「似合っている」と他人も言ってくれるはずだ、という何とも自分勝手な思い込みなのかもしれません。もちろんAIが悪いわけでもなく、その眼鏡を販売している企業が悪いわけでもありません。そもそも「悪い」という言葉すら必要ないはずです。

単に、自分の使い方の問題なんです(書いていて心が痛い)。


ただ、これって警戒すべきことのように思います。自分が不安な時、悩んでいる時などにデータ(AI、ネット検索、SNSの言葉、他人が言っていることなど……)から入ってしまうと、それらに振り回される可能性も簡単に生まれるんじゃないかと。

特に「数字」は何だか客観性を担保しているようで、使われ方によってはそうでもないことが起きます。100%なら何だか安心で、0%なら何だか不安。70%って、なんだか“ビミョー”な感じを受けます。数字は相対性が高いから、高得点を求めがちになってしまう。

お店などのレビューも、5つの星のうち4個以上も付いていれば、何だか行きたくなってしまいます。でも、本当に行ってみたい店、食べてみたい料理なら、本来星の数なんて関係ないと思うのです。「食べてみたい」という気持ちから行動を始めていれば、その結果に対しても自分で責任をもつことができます。

今回の眼鏡あれこれだって、もしAIが言うままに買い、その後誰かに「似合っていない」なんて言われた日には、AIのせいにしてしまいそうです。
いや、だから自分の使い方がまずいんだって!というだけの話なのに。眼鏡どころか頭が曇っちゃっています。


自分の本当の気持ちを大切にすること、相手を思いやって大切にすること。
自分への「愛」、他人への「愛」。

なんだか大袈裟なことを書くのですが、AIが文字通り“革命”を起こし続けている中では、めちゃくちゃ大事にしなきゃならないことだなあ、と思うのです。これまた大袈裟な書き方かもしれませんが、これって「人」ができるものだと。

妻は僕のことをよく知っています。僕が考えていることは、大体正確に当てることができます(僕が単純なだけか)。でも、いや、それだからこそ、その言葉を信頼できるのです。

自分を大切にできていない時、心がぐらついている時ほど、データに振り回される。データに振り回されて決めたことだから自分に責任を持つことができない。そんな悪循環。それを断ち切ってくれるのは、自分が信頼する“あの人”なのかもしれません。

AI時代を迎えた今だからこそ、自分や人を大切に。
AI時代を過ごすこれからこそ、自分と人への「愛」を。
眼鏡の話から飛躍しすぎだと苦笑いしながら書いていますが、あながち間違ってもいないだろうなあという、ふんわりとした柔らかい確信があります。


ちなみに

「まあ、色々挑戦してみて新しい自分を見つけるのも、いいんでないー?新しい感じにも興味があるよ。」

太いか細いかのくだりの後、そんな言葉ももらいました。


翌日、妻とその眼鏡屋さんにお邪魔し、ああでもない、こうでもないと試着しながら(時に店員さんも巻き込みながら)、気に入ったものを買うことができました。




決めた眼鏡が「何%」なのかは気になりましたが(まだ言うか)、
そっとしておこうと思います。


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