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熱量

直感を信じて。


今まで、関心があることにはすぐ飛び込んできた。写真、自転車、スキー、スノーボード、キャンプ、ランニング、トレラン、コーヒー、ガジェット、旅行、映画、音楽…。こうやってnoteさんに書く、ということもそう。

飛び込む度に、分からないことだらけ。未知、ということは僕にとってとても意味のあることらしい。分からないから調べるし、調べている時間も楽しい。喉が渇くから飲みたくなるのと似ている。ゼロから知識が積み上がっていく感覚は、繰り返しているとやみつきになる。もしかしたら、徹底的に何かを調べることそのものが趣味なんじゃないか、とさえ。


広く浅く。下手の横好き。いいじゃないか。広く浅く関心を広げていくうちに、いつの間にか狭く深く掘り下げている自分に気付くこともある。そうやって掘り下げているうちに他の分野とつながり、さらに思考が広がっていく快感だって、何度も経験した。「広く浅く」か「狭く深く」か、という二項対立は問いの立て方を間違えている。それらはつながっているのだから。


僕は不器用だし、すぐに何かを上達できる人間でもない。でも、熱量の赴くままに体験してみることで、できることも増え、ちょっとは”まし“になったようにも思う。新しい世界を開いてくださる方々にも、ありがたいことに出会うことができた。飛び込んでみたからこそ、かな。飛び込める自分になれたのは、飛び込んでみたからなんだと思う。うまくいかなかったことも、ちょっぴり散財してしまったことも、時間が経った今なら優しく苦笑いできる。


ちょっとでも熱が上がったモノやコト、あるいはヒトに対して、その直感を信じて飛び込んでみる。体験してみる。どんな熱いコーヒーもまずは一口目から始まる。最初は息で冷ましながら飲むけれど、時間が経てば飲みやすくなってくる。淹れたての熱いコーヒーならではの美味しさもあるし、少し冷めてきたから感じる旨みもある。どの瞬間にも意味がある。僕は人生を語れるほど長く生きてはいないけれど、自分の人生なんだから、ね。


飛び込んでみる大切さを実感しているけれど、それを誰かに押し付けるつもりは毛頭ない。好きなことが見つからない、なかなか飛び込めないということがあっても、それは自然なこと。自分について考える時間には豊かな価値がある。丸ごと肯定してあげてほしいと思う。綺麗事だけれど、今まだ見つかっていないと言うことは、これから何者にもなれるということだから。突き進む人生も、ぼちぼちゆったり進む人生も、同じように尊い。ただ、自分の熱量が上がったと感じる時は、きっと自分の本当の声なのだろうから、大切に育てていってほしいと思う。