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承01 「承」のはじめに

◆「承」で、表現したいこと

「起」において、私がしたいこと、その経緯について、その思いを、まだまだ粗いながらも、おおよそは表すことができたと思っている。ただ、同時に、これは、「仮説」にすぎないとも感じており、これから、それを検証し、また、肉付けし、進化させ、必要に応じて、転回させていくことが必要だと感じている。それが、「承」のパートだ。

◆現状:ネガティブが、ネガティブを呼ぶ世界(日本)

日本の国際競争力は、1992年のバブル崩壊前後まで世界で1位から、2023年には35位へと落ちている。
これを駅伝でたとえると、バブル期に1位でタスキをもらったランナーが、ずるずる抜かれて、気づくと35位にまで落ちていたという状態で、大ブレーキである。

普通ならば、このランナーは、仲間に申し訳ないと感じ、自己を激しく責めるだろう。だが、中には、外から妨害されたとか、環境やタイミングが悪かったとか言って、責任を回避しようとするかもしれない。
そんな場合、ブレーキにより落ち込んだチームの雰囲気は、さらに、悪くなり、仲間割れ、批判の応戦となるのではないかと想像できる。
それが、今の日本の状況に近いのではないかと、私は感じている。
 
もともと、日本は、現状維持というか、人並みという意識が強い上に、失敗を恐れ、チャレンジしないという思考が強いと言われているが、世界が、インターネット、コンピューター技術の急速な進歩により、急成長する中、日本は、失敗を恐れ、挑戦を避ける選択を繰り返してきてしまったのではないか。それが、大ブレーキの大きな原因ではなかったかと感じている。
 
その目に見える現象の一つとして、最近で言えば、マイナンバーカードの問題が挙げられると思う。確かに、個人情報の流出や情報紐づけのミスなど由々しき問題であるが、問題が起こると、すぐに、「やめろ!」という極端な流れに傾いてしまう。やめるのではなく、ミスをなくし、改善して、進むということが、今の日本には必要ではないのか。止まると進むとでは、大きな差が出てしまうことだろう。そこで生まれる一つ一つの差が積み重なってきて、今を迎えているのではないかと思えて仕方がない。
 
昨今は、個人がSNSを通じて、手軽に意見を発することができ、多くの人がつながり、同調すると、大きな力にもなりうる時代である。そのこと自体はいいことでもあるが、そのあまりの手軽さに、無責任なまま、問題の1面だけを見て、感情的に反応することが増えているように、私には感じられる。
 
先ほどのマイナンバーカードの問題にしても、日本の情報化を進める上で、また、効率化による経費削減を目指す上でも、近い将来、必要なことであり、早く整備した方が、利益の享受の面でも、世界におけるイニシアティブをとるという意味でも、有利になるのかもしれない。
しかし、問題があるから、それを“止める“という選択により、そういった、必要な進化も止めてしまうことになりかねない。確かに、失敗は怖い。でも、恐れているだけでは、得るものもない。「虎穴入らずんば、虎児を得ず」という言葉もある。
また、立ち止まることによって、世界に後れを取れば、必ずや、つけとなってのしかかってくるだろう。マイナンバーカードで言えば、他国のスタンダードに従うことになり、ますます後れを取ってしまうことになるかもしれないし、挑戦しないことにより、技術力、競争力を高めることができず、さらに下降線をたどることになるかもしれない。
その結果、今の生活を守れなくなり、守るために、公的な補助の必要が増えるかもしれない。すると、財源が足りなくなり、さらなる増税が必要となるかもしれない。その時、また、増税にも、SNSで「ノー」を叫ぶのだろうか。
 
これが、悪い循環、ネガティブの循環ではないだろうか?
それを打開するには、日本という国が強くなること、力を蓄えることが重要だろうと思う。それは、軍事的にということではなく、国民1人1人が、より大きな価値を生み出せるよう、成長することだと思う。決して、政治など一部の権限を持つ者たちの判断と行動だけで、どうこうすることができるものではなく、我々が意識を変えて、頑張るしかないのだと思う。

その証拠に、これまで、バブル後にも、何度も政権は変わったが、大きな流れは変わらなかった。つまり、変えるべきは、政治ではないとも考えてみるべきではないかと。ましてや、政治や一部の人を批判しても、大きく変わることはないだろう。
 
ここで、皆さんに問いたい。
あなたは、他人から、文句を言われたり、けなされた時、どんな気がするだろう?それにより、やる気がでるだろうか?パフォーマンスが上がるだろうか?

逆に、褒められたら、励まされたら、信頼されたら、どうだろうか?

忘れてはならないのは、政治家も、人である。
これが、ネガティブが、ネガティブを呼ぶということだと思う。
だから、もう、やみくもに他人のせいにするのはやめよう。他人を責めるのは、やめよう。まずは、自分を振り返ってみよう。そして、できることをしよう。当然、これは、私も、自分自身に、繰り返し言い聞かせていることである。

この項目では、思い入れが強い分、感情的になってしまったという反省はあるが、こう思っている。

◆理想:ポジティブがポジティブを呼ぶ世界

ここまで、現状「As Is」を、私なりに分析したが、次は、理想「To Be」について、考えてみたい。
それ「To Be」が、ポジティブが、ポジティブを呼ぶ世界、ポジティブの連鎖のある世界ではないかと考える。
 
ネガティブの連鎖の政治、経済周りに比べて、日本のスポーツ界は、ポジティブな話題が多く、ポジティブの連鎖が数多くみられると感じている。

例えば、
野球、WBCの侍JAPAN、
ワールドカップでドイツ、スペインを破ったサッカー代表、
ジャイアントキリングを繰り返すラグビー代表、
粘りの逆転でオリンピックを掴んだバスケット代表などなど。
どれも、傑出した個人というより、そのチームワーク、チーム内のポジティブの循環が、勝利、活躍につながったのだろうと感じているし、それは、彼らの活躍を見た多くの人がそう感じたことただろう。そして、このチーム、この雰囲気、この空気、盛り上がりを、自分の職場やチームでも作れたらと感じた人も多いだろうと思う。私も、強くそう思った。
 
一人一人が限界まで力を絞って立ち向かう、一見、しんどい世界だと感じるだろうが、その中に入ってみると、意外とそうでないかもしれない。一つの目標に向かって、仲間と一体化し、積極的に立ち向かえる時は、その高揚感と一生懸命さで、その瞬間、つらいなんて思いは忘れているのではないかと思う。少なくとも、私は、それに近い経験を何度もしている。
これが、ポジティブが、ポジティブを呼ぶという空気ではないかと思う。

◆「やさしい世界」の正体とは?

ポジティブが循環する環境においては、仲間から、ポジティブに受け入れられているので、自分が、ポジティブに考えられさえすれば、そこは、「やさしい世界」ではないかと思う。
 
ただ、人は、どんな人に対しても、ポジティブにとらえることができるだろうか?困っているときに、助ける手を差し伸べるだろうか?
あなたは、頑張っている人と、そうでない人とがいたら、どちらを助けたいと思えるだろうか?頑張っている人ではないだろうか。私ならそうである。
つまり、消極的な人より、積極的に進もうとする人の方が、ポジティブな循環に、はまりやすいだろうと思う。
 
ここで、「幸せ」の4要因について考えてみると、
「自己実現」のためには、積極的な行動が必要であり、
いい「関係性」を築くには、積極的な関与と、加えて、ポジティブさ、明るさも欲しい。
さらに、「挑戦」は、もちろん、積極的な行動の表れであり、
「個性」を保ち、生かすにも、自分の個性、言動に対してポジティブでなければ、できない、
というように、「幸せ」の感じ方には、個人差はあるかもしれないが、それでも、それを差し引いても、ポジティブさと積極性は、「幸せ」と感じる大きな影響を与える要因だろうと考える。
 
その一方で、ポジティブで、積極的な人が集まる世界、そこは、ネガティブな人、消極的な人にとっては、「やさしい世界」ではないかもしれない。
だが、「幸せ」を感じるためには、このポジティブで、積極的であることが大切であるとすると、「やさしい世界」とは、「ポジティブで、積極的な人にとって、やさしい世界」というべきかもしれない。

◆日本だけの話か?

ここまで、日本の状況を基にしてきただけに、この話は、日本だけに通じるものか、それとも、人類に普遍的に当てはまることか?という疑問が浮かぶ。
ただ、我々日本人とは、言葉、文化、環境、境遇が違ったとしても、「幸せ」を求めるのは、人間共通ではないかと思う。
そして、もし、日本が、経済、軍事、外交的影響力で、1番になれないのならば、心、「幸せ」で、1番になればいい。外に向かって広がるのではなく、むしろ日本の得意な、内にまとまり、「幸せ」を創ればいい。
やがて、それは、広げようとしなくても、世界中に勝手に広がっていくことだろう。なぜなら、「幸せ」は、だれもが求めるものだから。

(これは、「起」で書くべきことだったろうか。)

◆まとめ

・「やさしい世界」とは、ポジティブがポジティブを生む世界で、「Active」と「Positive」の2要素が重なるところにあると考える。
・日本は、「幸せ」のある「やさしい世界」創りで、世界をリードすればいいと思う。

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