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すきなきじ

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#つらつら

自分で決めていることなど、実はそれほどないのかもしれないけれど。

帰り道、ほろ酔いで隅田川を歩いていると、なんてことのない階段でつまづき、こけてしまった。こけたのは、私が不注意だったからという理由はもちろんあるけれど、そこに「階段があったから」、こけたのだった。 同じように帰り道、気づいたら無意識的に、道路にある白い線(車道外側線というらしい)の上を歩いていた。これは、私がほろ酔いだったという理由はもちろんあるけれど、そこに「白い線があったから」、私はその上を歩いていたのだった。 そのときに、私は以前読んだ『ごめんなさい、もしあなたがち

「おめでたい人」がそばにいること

私のルーティンワークのひとつに、自分が可愛いなと思う女の子のインスタやらTwitterやらを定期的に覗くそれがある。彼女たちの可愛い姿や頑張っている姿、努力して美しくなっていく姿を見ていると、「ああ今日も頑張ろう」という気分になれるのだ。 ただ同時に、悲しいかなちょっとした妬みのような気持ちが生じてしまうときもある。「いいな、こんなに可愛くて」「スタイルいいなあ」などと、自分には持ち得ないものを持つ彼女らに、嫉妬をしてしまう。そして同居人に、「うらやましいなあ、私なんて……

おもしろさに平等でありたい

自分の心の琴線を、なるべくたくさん揺らしながら生きていたいなあ、と思っている。 「自分というフィルターを通して世界を見ること」は、誰もが平等に持つ「自分にしかできないこと」だと思うので、なるべくそのフィルターにたくさんのものを通しながら、ていねいに世界を映して生きていたい。 だから、人や、映画や、本や、音楽、お店、旅行、イベント、テクノロジー、社会現象。笑えるものや泣けるもの、感動するものや衝撃を受けるもの。おもしろいと感じるものに対しては、いつだって平等な、素直な気持ち

いつだって、「できごと」より「考え」のほうが怖い

臆病なので、昔から意味もなく「怖い」と思うことがたくさんあった。 失敗することが怖かったし、ひとりぼっちになってしまうことも怖かった。時計の秒針が1秒ずつ時を刻むごとに「ああ、1秒ずつ死が近づいている!」と本気で考えこんでしまい眠れなかったこともある(今思うとヤバい)し、小学生や中学生の頃は、誰かに嫌われることが本当に怖くて、周りにいつも合わせるように生き、自分の意見をなかなか言い出せないような子どもだった。 その頃に比べると、今はだいぶたくましくなったなあ、と思う。失敗

「デートする楽しさ」について

体調を崩して、2日間家にこもっていた。 外の空気には一切触れず、誰と話すわけでもなく、楽しみにしていた予定はすべてキャンセルして(ごめんなさい)、ただひとり家にこもってふつふつと作業をしていると、何があったでもなく、ふと「ああデートがしたいなあ」と思った。 私はデエトが好きである。何ものにも換え難いほど、好きである。燃えたぎるような恋愛感情なんてどうだってよろしい。楽しいデエトがしたい。 (中略) デエトの根本は、恋愛の序章でもなく、一発かましてやろうでもなく、人を知るこ