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ロシアの川を

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9月21日から10月2日までの11日間のまとめです。 サンクトペテルブルクからモスクワまでKROK映画祭。
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#海外旅行

今見直す2年前のロシアの写真

あれから2年たった。 このnoteを書く日が曇りで冬の寒さが感じられてきた。何故かその寒さとどんよりした曇りが2年前のロシアを思い出させた。ロシアの写真が収められているSSDを取り出し今の自分なら扱い切れるんじゃないかとリエディットしてみた。 難しかったどんよりした曇り空、白く飛ぶ空、それらを今の自分の力でもう一度掘り起こしてみた。 9月の暑い日に東京を発ち、日本より暑い砂漠の国ドーハを経由して、怖い怖いお姉さんに睨まれたパスポートチェックに20分かけ入国し、サンクトペテル

首都モスクワ

Day9 Доброе утро 朝起きたら、またもや船は河を進んでいた。すでにモスクワ運河の首都モスクワの郊外付近に到達しており外を見ると森は無くなっていた。あの開放感も無くなっていた。モスクワ郊外の河の沿岸は開発が進んでおり大国の力が見えるようだった。船はЛевобережный район(レヴォベレジュニ・ライオン)という地区のSeverniy Portに到着。ここが今回の旅の最後の寄港地だった。この日はKROKアートアニメーションフェスティバルの表彰式とクロージン

ロシアの科学都市

Day8 Доброе утро ドーブラエ ウートラ もう日本に帰っても完全に覚えてる。 ちなみにドーブラエは優しい。ウートラは朝という意味。優しい朝!って挨拶する感じかな。 この日は9月28日。朝起きた時は船はまだ河を進んでいた。 船はもうヴォルガ河に入っていて、一路モスクワへ向かっていた。この日の朝は晴れていた。 本当に天気に恵まれたクルーズだったように思う。ヴォルガ河は穏やかで、朝日が差し込んでいた。毎日7時に自動的に起きてしまうのはベッドのせいなのか、寒いから

要塞として。修道院として。

Day7船はゴリツィという街へ向かっていた。ベロエ湖を越えてシェクスニンスコエ・ヴォドフラニリシェという河を進んでいく。8時ごろ朝食を取る頃に船はゴリツィに着いた。小雨のゴリツィに降り立つ。 この日の夜はカーニバル!ということでスタッフや子供達は忙しなかった。 ゴリツィはヴォログダ州キリロフスキー地区にある村。 船を降りたらすぐ露店ロードだった。 厚いダイナミックな雲の下、バスに乗りツアーの目的地へ向かう。距離にして8キロほど。 ついたのはキリロ・ベロゼルスキー修道院。

残されたソ連の潜水艦

Day6朝起きたら船は寄港していた。どこかに泊まってる状態でいる船の中で起きるのは、サンクトペテルブルク以来だった。 夜の間にオネガ湖を抜けボルガ・バルト水路に入りヴィテグラに寄港していたようだ。なんて事はない田舎の小さな町で、中州とその周辺で構成されている。閑静な住宅街のように人がいない上、手入れのされていない建物がもの寂しさを感じさせていた。 朝ごはんを食べたら、ツアーが始まる時間になった。雨がぱらぱらと降っている中、外に出た。半分飼われているような野良犬が迎えに来た。

美しいロシアの田舎   -マンドロギ-

Day4スヴィリ川、ヴェルフニエ・マンドロギ Доброе утро !! (ドーブラエ ウートラ) 朝7時に目が覚める。簡易的なベッドなため固く、また窓からの冷気で寒く予定より早く目が覚めてしまった…。 ひとまずスマホを起動し見てみると電波のところにEの表記…。電波が見たことも無い表示になっていた。ほぼ圏外といわんばかりの電波の悪さ。どうなってんだと外を見てみると世界の車窓からのような風景が広がっていた。 いやこれは…。一瞬電波が入ったので現在地を調べようとGoogle

KONSTANTIN SIMONOV ~コンスタンティン・シモノブ~

Day2コンスタンティン・シモノブ、エルミタージュ美術館、KROK映画祭オープニングセレモニー。 ロシアでの1日目の朝。 サンクトペテルブルクの朝は暗い。午前7時半で日本でいう5時半とかの、あの空が白んできてるぐらいの明るさ。 着替えを済ませてホテルの朝食へ向かう。ここで8時ごろ。この日はロシアではめずらしいぐらいの晴れだった。青空が見えるのは白夜のある夏ぐらいだそう。 ホテルの朝ごはんはビュッフェ形式。「パンがないならケーキでしょ!」と言わんばかりにパンよりもケーキ

ネフスキー・プロスペクト

Day1/Part2 サンクトペテルブルクとは 帝政ロシア時代の帝都サンクトペテルブルク。芸術と文学の街といわれる。 複雑な歴史を持つがそれはWikipediaにお任せするとして、少しだけ説明を。 サンクトペテルブルクはバルト海東部フィンランド湾最東端に位置する港湾都市。ロシア皇帝ピョートル大帝が建都を命じ、聖ペトロと自らの名前をもとに、ドイツ語読みで「サンクトペテルブルク」と名付けた。 第一次世界大戦時、ドイツとの交戦によりロシア読みの「ペトログラード」へ、そしてロシ

サンクトペテルブルクへ

Day1/Part1妻が応募したKROK国際アニメーションの上映会の参加に付き添いとして、ロシアへ向かった。9月21から10月2日まで。サンクトペテルブルク〜モスクワ間をクルーズする。 それまではビザだったり、主催側との連絡だったり色々と準備が大変だったけれど、無事9/21の0時にに羽田を発った。予約していたその飛行機はカタール航空で羽田〜ドーハ、ドーハ〜サンクトペテルブルクと、トランジットを含む行程でロシアへ向かう。 ドーハ:ハマド国際空港に到着ドーハに着いたのは早朝。