我ら、発達凸凹家族
多分、私たち4人家族大人2人子供2人、男2人女2人、みんな発達に凸凹がある。
診断がついているのは息子だけ、なものの。ADHDは遺伝から来る障害であることをはじめ、色々な本を読むうちに私にも夫にも思い当たる節がいくつかずつ出てくる。
娘の気難しさや癇癪や過去現在のお困りポイントを鑑みると、検査しなくともある種の発達の難があるのだと思う。
大人でも子供でも、今は研究が進んだりしていて生きづらさの理由として発達障害のキーワードが出てきやすい。
でも、である。子供はみんな発達途中なわけなので、ある一時期を切り取って発達の障害ですね、と特別扱いをすることにはいささか納得しきれないのが本音。
とは言え、今の時代的には関わる側にも当事者本人にも難しさの背景理由がありもどかしさややるせなさの正体に名前をつけることが安心につながることが多いので、それはそれでありなのかもしれない。
うちの息子は、一時期だいぶ荒れてしまって、保育園側からも同じクラスの保護者からもいろいろなコメントをいただく存在になった。
振り返れば元々の気質があったところに、環境変化が複数重なってしまった不運があると私たち夫婦は分析している。
まだまだ難はあるが、保育園のクラスというコミュニティにおいて建設的な関わりができることも増えてきていて、その頻度が上げられるようにしていくことが目下の目標。
夫は幼稚園時代、園がつまらないからといって勝手に抜け出して1人で帰宅したことがあったり、普段はおとなしくマイワールドに浸っているタイプだったようだが、キレて教室で大暴れしたことがあるらしい。
私は自他共に認めているボーッとした子供で、とても嫌だったことの記憶や何かのイベントごとはよく覚えているが他人との関わりを自分から作ることが今でも苦手で、自分の気持ちや自分の至らない点について語ろうとすると大人になっても手が震えたり涙が出てくることがある。
…これはどうやら注意欠陥と多動のおとなしいバージョンの典型。
完全な人間なんていないっていう前提で言うと、うちの家族はとても面白いキャラ揃い。
強みを尖らせて職を得た夫を象徴に、子供達2人とも尖らせたい凸を見つけて磨いてあげたいというのがうちの教育方針。
元々人懐っこく大人に可愛がられる息子、それはどうやらADHDならではの気質とも言えるらしい。
さらに、できないかもしれないという鎖で自分を縛ることがないので何かを開発発明したりする人もいるし、身近な経営者のなかには意外と子供時代多動で親に苦労をかけたらしい…と話す人もいたりする。
どんな人にも良いところがある、ということがわかってからは、自分と世間の常識のすり合わせをするという観点で息子に関わるように努力している。
石橋を叩かずに思い切って渡れる日本人は、かなりこれからの時代貴重なんじゃないか!?そう考えると幼年期のうちに周囲の人に危害を加えないように刷り込みができれば、この凸凹がものすごい強みになるかもしれない。
もちろん、時に凸が理解できなさすぎて我慢ならなくて叱ることはある。
冒頭の写真にある絵は、子供たちを叱る我々夫婦の様子を、ボール家族として娘が描いたもの。こういう形での子供たちからのフィードバックがあるということは、親としての成長チャレンジとしてペアレントトレーニングを学びなさいねというメッセージに他ならない。
…男の子を落ち着かせるにはとにかく空腹を満たしなさい、という園長先生の教えを切り札に、保育園最終学年という勝負の年に挑みます。
これからも応援いただけるようにがんばります!よかったらサポートよろしくお願いします。