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「ヴ・ナロード」に迫った、素人Cコード

尊敬する医師、若月俊一先生の残したものを探しに長野にやって来た。僕が今ここにいるきっかけの根っこはこれだ。でなければ、長野県を意識することは僕の人生において、ありえなかった。
ありがたいことに、市立図書館にはたくさんの若月先生の本が並んでいる。
ほんの20年ほど前に生きていた人が、「市の図書館に著書が並ぶ」という評価を受けていることに感動を覚える。そもそも、それだけの著書を残していることに畏怖を覚える。

「ヴ・ナロード」。人民の中に、と言う意味のロシア語で、元々はロシアにおいて革命を唱える形で使われていた言葉を、若月先生は大切にしていた。彼の若き日の経歴を知れば全ての活動に一貫して浮き上がる「革命」への憧れを感じずにはいられないのだが、詳細な説明はここでは控える。

この言葉を改めて思い出すきっかけは、やはり若月先生の本からだった。これまた憧れの医師である鎌田實先生(同じく長野県をフィールドに多くのものを残されている)と若月先生との対談の中で繰り返されたこの言葉から、かつて読んだ彼の本の断片が浮かび上がり、背筋が伸びた。そして驚かされた。医師になり、現場で働く身として捉えた「ヴ・ナロード」という言葉は、あまりに重かった。あまりにも僕が身を置く「現場」から遠い位置にあるのだ。現代においても、こんなにも理解されていない概念なのかと、染まり始めていた自らを通して感じた。それでも僕自身がこの「ヴ・ナロード」と遠い位置にいるとは決して思わなかった。病院の中にいる自分だけが「自分」ではない、という人生理解がそうさせるのだろう。ほっとする部分もあったことは間違いない。ずっと掴みたかった言葉に再会できたという感覚が近かった。

先日「ヴ・ナロード」の一端に触れる感覚を得た。
街中をランニングをしていたところ、お世話になっているお店の店長に招かれて、閉店後の店内で行われていたギターセッションに混ざらせていただいた。突然持たされたギターを前に弾き方も知らずあわあわしながら、Cコードを調べてジャランとやったら、他のコードも教えてもらえる。知ってる歌を一緒に口ずさんでみる。普段の生活や仕事の話をする。
なんでもないこの一連の出来事の中で僕は「ヴ・ナロード」という言葉を直感した。はっきりと語れないけれど、はじめましての地元の方々が弾き語る空間にポツンと座り、混ざっている自らの姿こそが「ヴ・ナロード」の精神の根幹に通じている気がした。これが僕の目指す「医療」に通ずる道なんだと直感した。

新しい年がやってきた。手探りで進めてきたここまでに、先人の哲学が加わっていく。今年僕はもっと大きな「医療」の景色が見えるようになる気がする。


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