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食医、小諸デビューの日#コモロノート

医学生時代、北海道で重ねてきた出張料理。
ついにここ、小諸でも初陣を終えることができました。
そして「医師であり料理人」という肩書きを持ちながら、届ける人を想い食事の場をつくることができた、記念すべき第1回になりました。

今回は友人宅にて。
お題としては必要な蛋白質を摂取できること、糖質を制限すること、そして食べやすさを実現すること。
「食事の場から健康をつくる」がテーマですが、その場を楽しんでもらうために食事の内容が最大限サポート役に回る必要があります。
食事そのものを”ないがしろ”にしては本末転倒で、ここにどれだけこだわれるかにいつも挑戦の機会をいただいていると思っています。
今回のお品書きはこちら。

・瓢亭風卵
・マル秘スープ(近日公開) スパイスアレンジ
・家庭の治部煮(地元金沢の郷土料理)
・1番だしと海老しんじょ
・うなぎのハーブソース
・牛乳&砂糖をつかわない、豆乳ココナッツプリン

リクエストもいただきながら、ほぼ糖質を使わずに蛋白質中心で仕上げました。
大切にしたのはサイズ感、水分、柔らかさ。
そして食事を待つ中で交わされる会話。
僕は適切な料理を作るマシーンではない。
食事をつくることもあわせて食事の場をつくる、1人の表現者としてキッチンに立つことを大切にしています。

割ると中が半熟な「瓢亭卵」
こちら近日、小諸デビュー予定
家庭の治部煮(じぶに)
えびしんじょう
うなぎのハーブソースは今回のチャレンジ料理


糖質とアレルゲンを抑えた柔らか系プリン

ちょっと脇道に逸れます。
医療現場に身を置き始め、興味関心も相まって「食べられない人」に強く関心が向いています。
食べられない理由は実に様々。
病院食が美味しくない(うちの病院はどうやら美味しい)、のどが痛い、口の中が痛い、手が動かしづらくて箸が持てない、疲れやすい、歯がない、入れ歯が合っていない、呼吸状態が悪く口を閉じて噛んでいられない、食べものの通り道が狭くなっている、味が合わない、食事形態(お粥、通常食、とろみ食など)が好みでない、食欲がない(この中にも色々な理由がある)…。
「どうして食べられないんだろうか」という問いに答えるために、無数の原因の中から「今のその人の正解」を探り当てることになります。
この正解は日々変わりうるもので、診る側には不断の努力が必要になります。
そして個人では対応しきれないから、専門家や専門チームが確かに必要になる仕事だと思います。
医療現場では言語聴覚士(ST)、管理栄養士、看護師、歯科医、そして医師がチームになって対応するNutrition Support Team(NST)が多くの病院に広がっています。
が、本質的に目の前の患者さんの食事の困りごとに応えられているNSTはそのうちどれだけあるでしょうか。
「NSTが多くの病院に存在するようになってきたから」という理由で、上に挙げた職種を集めてチームをつくった、それだけで終わりになっている病院が多いのではないかと思うのです。
仮に食べることがまったくできずに1日を過ごすと、それだけで外から摂取している(分かりやすさのためにカロリーを使いますが)1200〜2200kcalほどのエネルギーがゼロになります。
ただ寝ているだけでも人間はエネルギーを使うわけで、そのために身体に残されている糖や脂肪や筋肉を削ってエネルギーとして使うことになります。
簡単に言うと、体力が失われます。
体力なくては、身体の中の菌と戦う仕組みや、飲んだ薬の効果をオンにする仕組み、病気との戦いの結果できた身体の中や外の傷を治す仕組みが動かせません。
みるみる状態が悪くなっていきます。

「食べられなくなるということは命の終わりが来たということ」と、医師の大先輩がおっしゃっていました。
本当にその通りだと思います。
ただ、食べる能力がまだ残されているのに、それを引き出す努力をせず「食べられなくなっちゃったね」で終わらせてしまっている場合は、病院で預かっておきながら治療をしないでただ眺めているのと同じだと、思うこともあります。
食事を診ずして「なんで良くならないのかな」と頭をひねっている場面は、現代医学において多々あるのではないかと考えます。

人の「食べること(=食事)」を支える専門家集団がいるべきだと思うのです。
それこそが現代の食医、シェフドクターの1つの役割でないかと。
もちろん例えば消化器内科の中に肝臓のスペシャリスト、膵臓のスペシャリスト、大腸のスペシャリストと分かれているように、食医やシェフドクターの中にも「家庭料理のスペシャリスト」「食べる環境を整えるスペシャリスト」「健康を達成する飲食店経営のスペシャリスト」がいて良いと思うのです。
専門性を言葉で括ることは、分かりやすさと伝えやすさのために必要ではあるけれど、そのことによって役割や伸びしろを括って制限しては本末転倒なわけです。
全然本質的じゃない。

引き続き医療の現場に身を置いたり、食事の場をつくりながら、自由な表現を重ねていきます。
夢は大きく。
その夢の舞台への道は僕ひとりではつくれません。
ステージを重ねていきたい。
「うちにも来てよ!」なんてお誘い、お待ちしております。


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