責任を取って「辞める」という言葉に感じた違和感

※ここで論じていることは、論文でいうと仮説を設定したくらいの本当に根拠のないものなので、なにかしら意見をお持ちの方はコメントしてくださるとうれしいです。

また、少しだけ東京喰種という漫画のがっつりネタバレ部分を具体例として使用していますので、未読の方はお気を付けください。

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日本では、何か不祥事があると当事者が責任を取って辞任をするということが度々起こる。(ほかの国でもあることかもしれないが、それについては自分の知識不足のため不明。)

たとえば政治家。不当な政治献金を受け取っていたことが分かったら、メディアは寄ってたかって叩き潰し、「辞任しないといけない風潮」に追い込んでいく。

そして現在(2019年7月19日)、芸人が反社会勢力から闇営業でお金を受け取ったという話題で世間は持ちきりだ。

そんな中、サッカー選手の本田圭佑さんのツイートが話題になっている。

宮迫さんとは会ったこともないし、ニュースを見てるだけで真実も分かってないけど、何がそんなに悪いんですかね?良い事とは言えないのはわかるけど、長い間、多くの人を笑顔にしてきて、それがなかったことになるような大袈裟な事じゃないでしょう。責任取って辞めるって文化もよく分からんし。

という内容である。

闇営業の良し悪しは置いといて、「責任取って辞めるって文化もよくわからんし。」という言葉には個人的に共感を覚えた。

僕は真の意味で責任を果たすのであれば、さらなる結果を出すために一層そのポジションで職務を全うするべきだと思っている。

しかし、依然として世の中では責任の所在を明らかにし、辞任に追い込み、退陣という流れは変わらない。

そこで自分の考えと世の中の考え、このギャップがどこにあるのかを考えてみた。


端的に言えば、外野(傍観者)の「ポジション(肩書き)に対する価値観」ではないか。

僕はそう思っている。

「責任を取って辞任しろ」派の人間にとって、価値があるのは「ポジション(肩書き)」ではないだろうか。

「ポジション(肩書き)」に重きを置き、「ポジション(肩書き)」を偉大なものだと思っているため、用意されたポジションに人間が向かっていく構図をイメージとして持っている人がこのような価値観を抱くのかもしれない。

イメージとしては 「人間」→→→→「ポジション」という形である。

例えば、有名番組の司会を行うタレントがいるとする。そのタレントが不祥事で世間をにぎわせた。このとき、「責任を取って辞任しろ」派の人間にとって、価値があるのは「有名番組の司会」というポジションであり、だれがそのポジションにつくのかは議論にならない。(ポジションが重要なため、「任命責任」という言葉も生まれてくるだろう。)

東京喰種という作品を知っている人は、主人公・金木研と「隻眼の王」というポジションの関係をイメージするとわかりやすいかもしれない。

「隻眼の王」という喰種の頂点に立つといわれるポジションが畏怖されるポジションであり、そこにカネキが到達することで彼は自分の友人の喰種以外にも崇め称えられる存在になったといえる。



一方で、「責任を取って辞める」が分からない派の人間にとって大事なことは「ポジション(肩書き)」ではないだろう。

おそらく「ポジション(肩書き)」にたどり着いた人間自体の価値(能力)を重視しているはずだ。

「能力」を重要視している以上、何らかの不祥事を引き起こした人格的な部分とは切り離して考えられるべきであり、「能力」に期待をしているため選任の際に期待された職務は全うしてくれるはずとの、ある種の信頼感を寄せている。

「能力」を持った人間に対して、相当の価値のある「ポジション」が付け加えられる。

イメージとしては 「ポジション」→→→→「人間」と、能力を持った人間に「ポジション」が寄っていくようなものだ。


前述の例でいうと、「責任を取って辞める」が理解できない人間にとって、「有名番組の司会」というポジションに価値は感じないだろう。「有名番組の司会」を行い、「番組を面白く成立させている芸能人の価値」こそが重要視されるべきものであり、彼(彼女)が番組を去ることで番組自体がおもしろくなくなることが容易に想像できるため、彼(彼女)を擁護するのだ。

前述したとおり、私は後者の価値観を重要視しているし、一度失敗したら立ち上がれないほどボコボコにする風潮ではこのような考え方は受け入れられないかもしれない。

しかし、今回の具体例でいうと「能力」を持つ人はその人のスキルを充分に活用し、我々視聴者はエンタテイメントを楽しんで消費しているため
win-winの関係は築けているし何ら問題はないと思っている。


いかがだろうか。


自分なりにはこうした価値観のギャップが意見の違いを表出されていると納得はしているが、どうしてこのようなギャップが生まれてしまっているのか、それは自分の中ではまだ結論は見つかっていない。

様々な年代の人にヒアリングをしてみたいし、そこから傾向を調べてみたい。

いったんはこの話は棚上げをしておく。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
鋭い意見がありましたら、ご意見いただければ幸いです。

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