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ノンジャッジメントという生き方

ジャッジをしないということは?

私は幸福度は人間関係性の質で決まると思っている。しかし、そうはいってもこれが簡単なら誰でも幸せになれるのだが、心が介在する限り一筋縄でいかない。なぜなら、人は出会ったその瞬間から「第一印象」を持ってしまい、無意識に「決めつけ」というラベリングを始めるからだ。
・好きか、嫌いか。
・味方か、敵か。
・上か下か。
・良い人か、悪い人か。
・出来るやつか、出来ないやつか。

心の性質を一言で述べるなら、それは共鳴するか、反発するかのどちらかだ。つまり相手がこちらに好意を持っているなら心は共鳴する。反対に敵意を頂いているなら、逆に反発する。これは不思議と言葉にせずとも、悟ってしまうのが心の世界なのだ。

しかしこの不思議な心の世界をひとたび理解したならば、「共感」が如何に相手の心に喜びを与える好意かがわかる。共感力がある人は、常に自分を受け入れ、認め、敬意をもって接してくれる。そのような人を嫌う人はいるだろうか。

前述したように、心は無意識のうちにラベリングをして人を判断してしまう。無意識を放置してしまえば、いつまでも同じことを繰り返すことになる。

つまり、幸せになるためには、この心を意図的に訓練する必要があるということだ。訓練すべき心の在り方が「ノンジャッジメント」だとお伝えしたい。

これを訓練する方法はいくつかあるが、まず、人と自分は「違う」という見方ではなく、「同じだ」とと捉えてみること。具体的には相対(あいたい)する目の前の人物に意図的に「自分と同じだ」と心の中で呟いてみること。これを繰り返していくと、たとえ未熟だなと感じる相手にも「かつての自分を見ている」ような感覚が芽生えてくる。自分も同じような頃があったと。人を拒絶せず、唯々(ただただ)受け入れる。この生き方が習慣化できるようになると、共感力の高い自分へと成長する。その時、自分は幸せにいきていると実感する。なぜなら、人間関係の質が向上しているのが実感できるから。

ノンジャッジメントという生き方は、人間の意識が進化した姿だと私は思う。


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