見出し画像

芝居原案「一席の義の舞/山下眞史著」※全文掲載。作家宮本輝さんが小説にしてくれます!

 自分の出身の町では、無料で落語を居酒屋で聴かせている。店の名前は「一折」。夕食時に、食事をした人にだけ。料理は地元の浜で獲れた魚を中心に。

 僕は、生で落語を聴くのは初めて。まさか、自分の小学校の先輩に、噺家がいるとも思っていなかった。

 三回目の時だった。僕の親父と、その親父の仲間と、居酒屋「一折」に向かった。今回は最前列で聴けるとあって、食事も、親父の仲間との会食も、中々箸が進まない。 

 噺家が居酒屋「一折」に着いたと知らされ、先にお手洗いに行った。店主が、「あと、一五分で始まりますから」そう言い、客はそれぞれ聴く態勢に成りつつあった。

 「立ち見席まで用意しないといけないんです。」そう店主が客に告げ、「今日で暫く休みが欲しいと言われまして、噺家さんに。本当に残念ですが。それでも、この店は続けますから、美味しい料理を食べに来てください。あと五分で出囃子が流れます。」 そう店主が告知すると、場は静まり返った。 僕一行は噺家が登場する方へ座布団の位置を整えた。

 出囃子を、店主がカセットで流し始めた。噺家は、人懐っこい人で、笑顔を振りまきながら登場する。僕は最前列で、多少の緊張感を保ちながら、噺家を迎え入れた。

 出囃子が終わり、噺家は座席を一度見回すと、深々と礼をした。その時だった。最前列にいたので、頭を下げた表情が覗けた。噺家は、まるで御死を覚悟したかのような、刹那の義を自分に向けていた。そして頭を上げた時には、穏やかな表情に戻っていた。僕は、見てはいけないモノの様に思ったが、「これは覚悟して聴かなければ」そう思い直し、心の帯を締め直した。

 

 そんな表情を観たのが初めてだったので、その迫力に押され、一席の名前が思い出せない。だけど、噺家の義の舞を見せて貰い、落語に対する印象が一八〇度変わった。ただ、僕の親父と仲間は、ただ笑い転げていただけだった。 噺家の名前は、滝川鯉昇という。僕の中学校までの先輩だ。忘れられない夜になった。  (了)

※これは、僕の芝居原案の一つです。これを、小説家・宮本輝さんが小説にしてくれています。5年かけて一冊の本にしてくれるんです。本は、社団法人真色出版部「Avec la nature(邦訳:自然と一体)」で本にします。価格は未定。本屋には並びません。全てインターネット注文になります。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?