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現代アート「My fair prisoners!?3」の河合隼雄さんの調書とエッセイ※全文掲載

この方は、刑期を終えた方です。日本にユング心理学を持ってきた臨床心理士の先輩です。本は全て持っています。大尊敬する一人です。名前は、京都大学の河合隼雄さんです。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

           My Fair Prisoners!?調書

囚人番号:20170921195912

名前:冒険少年

懲役:83年

服役した刑務所:兵庫県多紀郡篠山町

刑期を終えた時:2007年7月19日

音楽:「November Steps」(武満徹)、ディキシージャズ

映画:「瀬戸内少年野球団」

本:ユングさんの本と絵本

罪:近所の裏山で鬼ごっこ。幼少期、学校の本を借りても返さなかった。

喜:自分の子供が生まれた時。自分の本が本屋に並んだ事。

怒:戦争、レイプ、銃犯罪、重犯罪

哀:近親者との別れ。特に弟が小学校の時に死んで終った事。

楽:幼少期の兄弟との色々な遊び

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「冒険少年」さん

 ユング心理学を日本に持ってきた先輩。人の話を聴くプロフェッショナル。「冒険少年」は、ちょっとやそっとの事では揺るがない。初めは高校で数学を教えていた。

 ある時、ロールシャッハ検査と出逢い、心に関心を強く持ち始めた。そして、ユング心理学を知り、家族を残してスウェーデンに留学。38歳の時。

 そして、資格を八年掛けて貰ったが、最後の最後の話が面白い。なんと、「冒険少年」は試験官と喧嘩をしたのだ。喧嘩などすれば資格は貰えない。「冒険少年」はイエスマンと思われていたが、最後の最後で、ユング研究所に大きな「No!」を突き付けたのだ。資格を貰う為だけに来たのではないと。八年を棒に振る覚悟が「冒険少年」にはあった。長い討議の末、資格を得た。 

 それから帰国し、17年もユング心理学の名前は出さずに活動。普通はそんな事は出来ない。資格を取ったからと言って、直ぐに結果は出せない。それも踏まえた上での判断。それが、「冒険少年」と一般の人々の大きな違い。目指す所がはっきりしていたから出来る事。 

 17年後、ユング心理学の名前をやっと出して活動。頭が下がる。 引退を周囲がさせてくれなかった。もっと生きる事は出来ただろう。出来る人に、何でも任せれば良い訳ではない。それを言葉ではなく、背中で魅せた「冒険少年」だった。      (了)

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※亡くなった方々や大天使、天使、存在達がいる場所は、「学園Heaven」と言います。 社団法人真色出版部「Avec La Nature(邦訳:自然と一体)」で、拙書写真集「My Fair Prisoners!?」に、調書(データ)とエッセイ、お名前を掲載します。亡くなった方々の写真に関しては、写真は本人が一番気に入っている写真を、僕が撮影する写真の代わりに掲載します。


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