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視える?視えない?

占い師ってなると、
やっぱり視える側の人ってすごいなって
なりません?
 
今日はそのあたりについて思うことを少しだけ。
 
霊視や祓うことを人のためにしている人って、
命を削っているように感じていて、

私は、そういう方って日々の生活の中で
人混みとかどんな風に過ごしているんだろうと、
ちゃんと扉を閉めておけるのかなとか
受け取ったものをどんな風に浄化してるのかなとか
つい考えてしまうのです。
 
こんな考えやかんかく自体が変なのかな?
もはや普通の考えとかが分からない(笑)
 
私には常日頃そんな特別なことが出来る体質でも
無いので、困ることはほぼないんですけど、
 
人の氣を受け取ることはあるなって感じています。
なるべくネガティブな氣は受け取りすぎないように
ポジティブな氣を流してあげられるようにと。
 
みんなもありますよね?
 
決して特別な能力がなくても、
大なり小なり、みんなやってるんですよね。
 
視える、視えないも
ひとつのジャッジポイントだけど
 
視えなくても感じる👈私ここ。たぶん。
 
感じないけど今を楽しんでいる👈好循環な人
 
とにかく今を生きている👈👏👏👏
 
視える、視えないの前に、
今の時代を生きていることが、
ラッキーで素晴らしいことだと
気がついていることが
人を視る前の前提なのかな。
 
今日も私は素晴らしい。
愛すべき存在なのだ🥰
🟰私の周りにいる人も素晴らしい。
🟰愛すべき存在なのだ🥰
 
このnoteを見つけてくれてありがとう🌈
あなたも愛すべき存在です🌈

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