東京家族~立ち向かう強さ~
私が行くスーパーマーケットは曜日によって買い得品が違う。火曜日は畜産が安い日なのだ。娘は唐揚げが好きなので鶏肉をよく買う。その日も鶏肉を目当てに買い物に行くと、何とお目当ての唐揚げ用の鶏肉が八〇〇ℊと大容量でお買い得になっていた。私は迷うことなく手に取った。そして他に必要な物を買い、家に帰った。
買い物とは頭を使うので疲れる家事の一つだ。うる覚えの冷蔵庫の中を思い出しながら様々な食材と組み合わせたり、明日やその先のことまで考えながら買う物を決めなければならない。なので買い物を終え、家に帰ってくるとひと段落つきたくなる。けれども腰を下ろせば立ち上がるまで時間がかかるのでこのままの勢いで片づけたい。
買い物袋から冷蔵庫や食品庫へと買ったもの移していく。果物やサラダ用の野菜は使いやすいように洗って切ってタッパーなどに入れる。ゴミも片付け包丁やまな板を洗った。けれども最後まで残された八〇〇ℊの鶏肉がある。
私の疲労はそこそこ蓄積されてきている。ベランダを見ると取り込まれるのを待っている洗濯物が干されている。時計はそろそろ娘が帰って来ることを知らせていた。疲労とやらなくてはならない事に流され「面倒くさい」とう気持ちが勝ってしまった。八〇〇ℊの鶏肉を一口大の大きさに切り適当に二つに分け冷凍庫の奥深くへと沈めた。
数日後、急遽娘の弁当を作る事になった。私は冷蔵庫を開け弁当に使えそうな食材を探した。トマトにブロッコリー、冷凍の枝豆まである。勿論玉子もある。冷凍庫を開けるとこの前冷凍しておいた鶏肉を見つけたので唐揚げまでできる。私は娘に「お弁当は唐揚げを入れてあげるね。」と言った。娘はとても喜んでくれた。
翌朝、ボサボサの髪にパジャマ姿で弁当を作り始めた。鶏肉は昨晩の内に冷蔵庫に移しておいたので解凍されている。私は鶏肉をボールに移しニンニクや生姜等で下味をつけ馴染ませた。その間に玉子焼きやおにぎりなどを作り、弁当箱に詰めていった。最後は唐揚げを揚げるだけだ。私は鍋に油を入れ一八〇℃に熱した。下味の染みた鶏肉に片栗粉をまぶし、熱した油に入れた。ジュワ―といい音を響かせ鶏肉は色づき、唐揚げへと変化を遂げ始めた。お弁当の完成までもう間もなくだ。荒熱の取れた唐揚げを詰め、お弁当は完成した。そう、お弁当は完成した。お弁当は完成したが、私はまだ唐揚げを揚げている。
小学生の娘の弁当に必要なから揚げの個数は二つだけだ。けれども私は朝から四〇〇ℊ近い唐揚げを揚げている。そう、あの日の「面倒くさい」は今になって私の前へと現れた。揚げずに別の日に揚げればいいかとも思ったが、解答し常温に戻った鶏肉をもう一度冷蔵庫へと入れるのは気が引ける。それに揚げ物用の油をもう一度出したくはなかった。進むも止まるも結局同じだと判断し、揚げる選択をした。
目の前の事から逃げることはできない。いつかどこかでもう一度対峙する時がくる。私は今まさにあの日と対峙している。
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