『桐島、部活やめるってよ』読書感想文

朝井リョウ先生の書く小説が大好きだ。この人の小説は、まるで気にもとめないような心の奥にしまいこんでいた感情を抉り取るような、そんな感覚になる。その先生の最初の作品が、彼が19歳のときに書いたとされる『桐島、部活やめるってよ』。その、一番心に残ったシーンだけ書き綴っておきたい。

菊池と前田の邂逅

この交わるはずのない陽キャと陰キャの交わりこそ、そして菊池が前田を心から羨ましいと感じている、その心こそ、この小説のなかで最も美しいものだろう。生活は満たされているはずなのに、何か空虚な、空っぽな人生を送っているような気がする。君たちは若い、真っ白なキャンバスだと校長先生に言われ、そんなもの持っていてもそもそも何も描く気がないんだから意味がないと言い放った菊池。だけど、今まさに周りの声なんてつゆ知らず、楽しさ満点で真っ白なキャンバスに夢を描いている前田たちを見てしまった。1から3まで進路希望が書かれた紙を見てイライラする菊池、だけどその真っ白な無限大のキャンバスに背を向けている自分に、立ち向かうのでもなく逃げるわけでもない自分に一番イライラしている菊池。映画部を馬鹿にした彼女にイライラする菊池、だけど自分だってかわいそうだと思って声をかけようとした、そんな自分に気づいてしまう菊池。あえてボールを前田にパスし、そして周りの反応を見て自分の立ち位置を知る。その冷静さが菊池宏樹という人間を表していると思う。菊池は聡明すぎる人間だった。前田ともし友達だったら、菊池は何か変わっていたのかもしれない。

映画との違い

原作には映画のようなラストシーンがない。映画の見せ場は、こうした個人個人の感情が一気に爆発するあのシーンだから、映画から見た人は原作のあまりに端的な記述に拍子抜けするかもしれない。原作ではひとりひとりの物語が、断片的に語られるだけだ。桐島との関係性も、またそれによって揺れ動いた感情の記述も、原作は少し物足りなかった。しかし、あの「教室」の気持ち悪さは文字媒体であるにも関わらず映画よりも再現されていて、その表現力は今と変わらず圧巻だった。

さいごに

この小説は、そこに現れる人物が語っているように書かれているが、むろんそれは間違っている。作者が彼らの気持ちを代弁してあげているのであり、そこにいる人物は実はそんなこと全然思っていなかったりするのだと思う。なぜならあまりにも言語化されすぎているから。私がこの小説を読んで心を抉られるのは、このような場面を何度も何度も経験してきたにもかかわらず、それを言語化してこなかったからなのだろう。これは奇妙なことかもしれないが、作者と読者の関係性だって、実はそんなようなものな気がする。

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