KD2開発裏話(パソコン人生)ー1

理不尽なシューティングが多いなあ

 高校生の頃、学校の帰りにボッチだった僕はごく稀にゲーセンに行っていた。1980年代はシューティングゲームの全盛で、ナムコ、コナミはすごかった。ゼビウス。グラディウス。憧れで、暇な大学生が連コインして、
最終面までやっていたのが印象的で、200円しか無いぼくにはとても不可能だった。とにかく敵やら、トラップで即死してしまうゲームに怒りを感じていた。
 やがて、15歳の時にファミリーコンピューターをクリスマスプレゼントで買ってもらった。ゼビウスもグラディウスも買ったが、難しすぎて匙を投げた。何回プレイしても最終面まで行けない。フラストレーションがたまるばかりで、本当に楽しめるゲームはもっと難易度が低いゲームだと気づき、
それが自分で作ることに繋がった。

自分で楽しめるシューティングを作ろう(入門編)

 ファミリーコンピューター以外におもちゃパソコンであるMAXマシーンを持っていた。ゲーム機であったがBASICカセットと言うものを差し込むとBASIC(簡単な命令でプログラムを動かせる開発言語)でゲームが作れた。弟と一緒にマイコンベーシックマガジンと言う雑誌のプログラムリストを 
毎回打ち込んで(SAVEできなかった。その装置が別売りで輸入しなければならず、お手上げだった)簡単なゲームを楽しんでいた。だが、それも苦痛だった。
 工業高校を受験し、合格して、お祝いにシャープのX1Fモデル10とディスプレイのセットを母に買ってもらった。今度はSAVEできる。カセットデッキだったが。同じ機種を持っている部活の友人にT&Eソフトのハイドライドを借り、
堪能した。これもプログラムで動いている。俺も作りたかったシューティングを勉強しながら作ってみよう。まだ名前は無かった。仮にS0と名付けようか。最初はBASICで作っていた。先ほどPC雑誌のプログラムリストを打ち込み、アマチュアプログラマーさんの作品を楽しんでいた。プログラムを解析
して一定のパターンがシューティングゲームにはあるなあと気が付いた。それを真似て自分なりに作り始めた。自分の自機がキーボードで上下左右に踊るのを見て興奮した。先生と言うかメンターが欲しかったが、PCのプログラムを作る人が皆無だったので、ベーマガ(マイコンベーシックマガジン)が
先生で、他にPCを持っている連中はほかのPC88とかPC98ったので互換性が無くぼくはひとりぼっちだった。
 

友人ができる

 そんなぼっちアマチュアプログラマーに救いの手が現れた。PCを何台ももっているI君である。家に呼んでたくさんのPCを触らせてくれた。PC88のシルフィードと言うシューティングを遊ばせてくれたそしてなんとそしてなんとシャープのX1turboをただでくれたのである。フロッピーディスクにSAVEできる。カセットデッキじゃない。夢のような環境を喜んだ。自転車で
運ぶのは大変だったが、頑張った。
 S0の開発は難しかったが、初めからついていたキャラクタエディタを改造し、使い勝手を良くして、BASICからマシン語(機械語とも呼ばれ、マシンを直接動かせる原始的な開発言語。かなりの難易度)に移し、土曜の半日と日曜日すべてで開発して時間をささげていた。これが極限ドライブシリーズ
(極限ドライブforWindowsXP,KD1RR,KD2)の原型となった。


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