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自分らしさのなり方
自分らしさ。そんな言葉が巷に溢れています。ぼくもいくつかそんな記事を書きました。
それから時間が経ち、改めて、自分らしさを書いてみたいと思います。
最初は自分が無い
ある精神科医に教わりました。「最初は自分は無いよ」と。
なんかプロセスがあるらしいのです。周りの人を気にして、周りの人の真似をする。だから、他人を生きていると。
学生時代、ぼくは毎日混乱していました。あまりひどくて、休み時間は椅子に座っていました。
クラスメイトに話しかけられると、合わせるか、だまる。心の底では言いたいことがある。でも言ったら・・・
クラスメイトに嫌われると信じていました。いつも合わせる。
「masaって、何考えているかわからないね」と言われました。
心の底にある気持ちは存在している。でも、言ってはダメの強い禁止令がぼくを支配していました。
気持ちが言える瞬間
そんなことを続けていて、言いたい気持ちが首まででかかっていました。だれだれをいじめようと言う話をクラスメイトが話し合っていました。
「あいつは生意気だ。何様だ。」と彼らは言います。
ぼくは思い切って言いました。「いじめを皆でするのはよく無いよ」
ぼそっと。
クラスメイトにいじめらる。そう感じました。皆、変な顔をします。
対象が俺になる。ダメだあーーー。
「そうだな。masa。集団でのいじめは卑怯だな。よく言ったよ^^」
この展開は?言いたいことは言っていい。自分の中の禁止令を破りました。いい気分。そして、少し自信。
自分らしさ?
あの件から、自信が持てるようになり、発言はしないですが、輪の中に近づきました。異性の目もあります。
以前は見向きもしなかったのに、ぼくに微笑む女子もいます。ああ、自信が出来ると変わるんだ。
自分らしさ?みたいなものを掴み、生きていました。先生も気が付いて言います。「S原、いい顔してるなあ^^先生嬉しいぞ^^」
自信はいい。ですが・・・
生意気だぞ
理科のテストが2枚帰ってきました。宇宙の問題です。ぼくの一番得意な分野です。そんなとき、自信満々で答えていました。
先生の質問に。そんな時、ある男子が言いました。
「ちょっと、テストが100点と98点だからって、何自信満々なんだよ。生意気だぞ」
先生も言います。「自信はいいが、おまえは自信過剰だ」
ぼくの自信はちじみました。そして、無くなりました。
自己評価で生きるのではなくて、他人の評価で生きないといけないのか?
日本人なら皆抱えることです。
母に言うと
学校の顛末を母に話しました。
聞いた後、こういいました。
「masaは宇宙好きだもんね^^だから誰よりも知っている。それはすごいことだよ。でもね、周りの人は得意じゃない。わからないの。だから、くやしいの。そこは理解した方がいいね。自慢はやめようね^^」
自信を持ってもいい。自慢をしないこと。それから学生時代はそれで過ごしました。
社会人になって
父の仕事の立ち上げと軌道に乗せる援助が仕事になりました。友人は「お父さんのところだから楽だろう?」とか言います。
いきなり専務ですから、現場の仕事をこなし、事務的なことこなさないといけません。どちらもどういうわけか、できました。
すごく生き生きしていました。材料費を材木屋と金物店に払いに奔走しました。
でも、自信はありませんでした。できるけど自信が無い。自己矛盾です。
父に言いました。「自信が無いんだ」
父は言いました。「自信は徐々につくものだ。おまえは覚えるのが早いし、正確な仕事をするし、事務仕事もこなす。すごく助かる」
そんな評価を父から得て、元気になり、自信が出てきました。
自分らしさを得ることは段階がある
自分らしさを得るには段階があるとぼくは考えます。趣味を持ったり、何かの仕事で技術を得ると自信が付き始めます。
その自信で自慢とかすると、仕事仲間は不機嫌で聞きます。で、避けられたりします。
それで、自信はあっても自慢は良くない。仕事でもそれが出るが、その時はそれでいい。ただ、口での自慢はやめよう。
そう考えました。
ある時、仕事がうまくいきません。仲間がいいました。「お前の腕はそんなものか?自信を持てよ。ちょっと前、避けて悪かったよ。この仕事はお前しかできねえよ。」
自信と仲間の評価のつり合い。そうなってこそ、自分らしさを発揮できるんです。
自信の無いあなたへ
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