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自己紹介その3(エホバの証人時代)

 県立の工業高校を結構、上位の成績で卒業しました。でも就職先がありませんでした。卒業する前の年に、三菱重工名古屋航空機製作所とか、中日新聞とか先生に受けさせてくださいとお願いしてOKが出たのに、

突然覆されてしまいました。電話で「〇〇の方がお前より成績がいいんだ。代わってもらえないか?」何とも怒りしか湧きませんでしたが、「はい」と言いました。

自働車学校に当時、通っていて、実習落ちまくりでした。落ち込んで、横になっていると、ピンポーンと音がしました。

スーツ姿の若い男性がかばんを持って立っていました。「聖書の勉強をしませんか?」ぼくは?で。就職先が無くて、寝ていたと話しました。お気づきの方もいるかもしれませんが、エホバの証人で、年が近そうでした。

何の宗教の知識が無かった僕は、毎週土曜午後2時の家庭聖書研究にどういうワケか応じました。友人がいないというと友人になりますと言いました。

今思うと随分変です。それについていったぼくも変です。(この男性Fさんは、最近、たずねたところ、引っ越していて、結婚も失敗した感じでした)

宗教よりも自動車学校のことが頭でいっぱいでした。無職でいたところ、母の知り合いの保険のおばさんが、働き口を紹介してくれました^^

自転車の整備の仕事でした^^おもしろい元コックのおじさんや、優しいお兄さんみたいな先輩がいて、雑談しながら、自転車をいじりました。

時給は800円?だったと思います。エホバのことが頭によぎりました。気分が悪くなったのを覚えています。でも、強迫観念のような洗脳がすでに働いていました。

自働車学校を期日ぎりぎりで受かり、解放されました。ほっとしましたが、何かに捕まれた感じがあり、悩みました。聖書の勉強をさぼりました。

電話がかかってきました。「風邪でやすみました」嘘を言いました。「今度はちゃんと来てください」生きたいという気持ちは大分無くなっていました。でも、心には聖書研究と言う(実際は、ものみの塔の教理を聖書にむりやりこじつける洗脳教育)ものが大きな地位を占めはじめ、

怒りにかられながら、無理を感じながら、嫌と感じながら行く、そんな感じでした。雑談で自動車学校のことを話すのですが、それが終わると「見よ、わたしはすべてのものを新しくする」と言う小冊子を聖書と首っ引きで、1時間勉強します。数か月この聖書研究すると体質が変わってきます。

準エホバの証人なり、週三回ある(現在は二回)集会に誘導されるみたいに出席、集会でものみの塔の教理を刷り込まれます。段々、世間のものを悪く見る感じになり、PCの本すら悪いと言われ(何とか、こっそり勉強していた。PCは命。これが他のエホバの証人との差になった)、今まで楽しんでいた誕生日やクリスマス、エッチな本、世間の人との交友など悪魔的であるとよくわからない理由で諭され、ぼくも染まっていきました。

(つづく)

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